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12月18日 「本当にこれなんだと思えること」 Tヨハネ4:9〜10

芸術家の岡本太郎さんは「人は生きていく上で大事なことがある。それは誇りであり、その誇りはまわりの環境によって作られやすい」と語っています。また、「自分自身がこれなんだと思って生きるものがあることが大事である」と言っています。では、私たちにとって本当に良い環境、これなんだと思えるものは何なのでしょうか?それは真理を記された聖書のみことばを知ること、つまり、聖書が何を語り、何を教えているかを知ることです。聖書は人間について「人間はすばらしい」と語っているだけではなく、罪深いものであると語っています。しかし、そんなものさえも愛している方、つまり、神様がいるというのが聖書のメッセージです。また、その愛を示すためにイエス様を遣わされ十字架にかかり、三日目の朝に復活されました。その聖書のことばを受け入れて歩むことが私たちにとって真によいことなのです。

 

12月11日 「苦しみがもたらすもの」 ヘブル人への手紙 5章7〜10節

キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、…キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって…。イエス・キリストは神としての性質を持つと同時に、人としての性質を持ってこの地上に来られた。それは、私たちの罪の身代わりの救いを成し遂げるためであった。また、苦しみが私たちにもたらすものの模範を示された。 第一に苦しみの中にある時、私たちは心砕かれ、心を注ぎだして神様に祈ることを学ぶ。第二に苦しみによって私たちは従順を学び、様に従った歩みをしようと決心できる。 第三に完全なものとなる、すなわち目標を全うするために成長することができる。 私たちが何を成し遂げるかではなく、神様との関係の中で成長し、その歩みによって神様の素晴らしさを伝えることが大切である。

 

12月4日 「ベツレヘムの主イエス」 マタイの福音書1章18節〜2章23節

 ヨセフとヘロデ、この二人には決定的に異なる点がありました。それはベツレヘムで救い主イエス・キリストが誕生した出来事に対する受け止め方です。ヨセフは神様から与えられた恵みであり、一生をかけた使命として受け入れました。しかしヘロデは自分の王位を失うことを恐れ、その救い主を排除しようと大量殺人を実行したのです。
 同じように聖書の示す福音は一つであるのに、それを自分のこととして受け入れる人もいれば、それを受け入れない人もいます。それどころか、イエス様を信じるクリスチャンを迫害する人さえいます。
イエス様は処女マリヤを通してこの世に来てくださった神様のひとり子です。そして生涯の最後に十字架にかかって死なれました。私たちの人間の罪を背負って、身代わりに刑罰を受けてくださったのです。それを信じるだけで、私たちは罪が赦されるのです。これが聖書の示す福音です。

 

 


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11月27日 「内なる人は日々新たに」 Uコリント4:16 

グランドモア・モーゼスという画家をご存知でしょうか。彼女はアメリカの普通の農家の主婦として歩んでいました。60代で貼り絵の趣味をもちましたが、70歳のときにリウマチにかかり指先が動かなくなりました。貼り絵を断念し、指先を動かさなくていいペンキ絵を始めました。そして75歳で、「人々の心の保養になるような絵を描いてみたい」と志を立てました。そして本格的に油絵を始めたのです。78歳、無名画家展で認められ、80歳でフォークアートの第一人者となりました。96歳でロンドンで初の海外個展を開き、1961年、101歳の長寿を全うするまで活発に創作活動をしました。
 彼女の作品は、田園風景を描いたものが多く、その志の通り、心まで暖め、ゆったりとした心を養ってくれます。絵はがきやクリスマスカードにもぴったりです。彼女は、年齢や病にこだわらず、やってみたいことを始めました。「心が老ければ若くても老齢、年をとっても心が若々しければ青年。だから、私は、青年。今から新たな志を立てて、よりすばらしい人生を創作していくの」と言っていたそうです。
 聖書の中に、『ですから、私たちは勇気を失いません。たおい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています』と言うことばがあります。まさにその通りですね。グランドモア・モーゼスのように、私たちも何歳になろうと、日々新しい志を立て、それに向かって歩んでいきたいですね。

 

11月20日 ヨハネによる福音書 9:1〜14

1またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
【神のわざが現れるとは】…1.神の愛が現れる 2.神の救いが現れる 3.希望が生まれる私達は困難に直面するとき (1)なぜ?(2)誰のせい? (3)いつまで続くの? と問います。
神様はこの盲人に対する弟子の質問に以上3つのいずれにも言及せず、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と応えました。質問自体が間違っているのです。
ニック=ブイチチという証人は宣言します。彼は両手両足がありませんが、「私達の望みはイエスキリストの中に見つける」と。「僕は手足が要らない」「僕は聖霊の翼を持つ必要がある」「神を信じることを諦めないで下さい」と。

 

11月13日 マルコ 16:12〜15

『六次の隔たり』という言葉をご存知でしょうか?これはソーシャルネットワークサービスやネットワークビジネスの根幹になっている概念で、『全世界の人々は六人前後の知人友人を介して繋がっている』と考えるものです。事実、私と音楽界や野球界の有名人は2、3人の知人友人を介するだけで繋がりました。非常に面白い考え方だと思いました。 聖書においてイエス様は弟子たちに、また私たちにも、『全世界に福音を宣べ伝えなさい』と仰っています。一見すると大変なことを言われているよう思い、福音伝道が非常に重荷なように感じるかもしれませんが、前述の『六次の隔たり』のように考えると私たちが身の回りの人々に向けて証や伝道をするだけで充分に世界に拡まっていく、と捉えていいのではないでしょうか? 大きい働きだけを意識するのではなく、まずそこから始めてみませんか? 〜小さい事に忠実な人は大きい事にも忠実です。(聖書)〜

 

11月6日 「ゲラサ人の地の主イエス」 マルコの福音書5章1〜20節

 ゲラサ人の悪霊につかれた人は、神様を信じない人間の姿を表しています。この社会を見ていくと、悪霊がはたらいて、人間はその影響を受けていることがあります。そして人間はお金、名声、快楽などの奴隷になっています。悪霊に対して、私たち人間の力ではどうすることもできません。でもイエス様がこの悪霊につかれた人を救ったように、私たち人間をいろいろな奴隷から、そして罪の奴隷から解放してくださいます。
 イエス様は私たち人間に、すばらしいことをして下さいました。神様のことを無視し、敵対している私たち、刑罰を受けて当然の私たちに目を留めて下さり、私たちを救おうとされました。それも2000匹の豚どころではない、ご自分の尊いいのちを犠牲にされたのです。ご自身が十字架について、肉をさかれ、血を流し、命を捨てて下さった、それほどまでにイエス様は私たちを愛して下さったのです。

 

 


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10月30日 「ザアカイ」 ルカによる福音書19:1〜10

この時代はローマの支配下にあり取税人であったザアカイは不正なことを行い(二重に税金を取り立てたり、割増したようです。)かなりの財産を持つとともに同国人からは嫌われていました。
悔い改め
そんな中、イエス様に出会い、自分をどんな者か知り、悔い改めました。
今までの行いを罪と認めて悔い改め、これからは神様と供に歩んで行くと心に決めました。神様にあって自分が罪許された罪人であると・・・
そこに、イエス様の十字架があり、神様の愛があるということを覚えることが出来るなら幸いです。

 

10月16日 「信仰とは何か?」 マルコ4:35〜40

弟子たちは突風が吹いたとき、その場の問題だけにとらわれ、神様であるイエス様が共におられることを忘れていました。さらに信頼することができませんでした。弟子たちには信仰がなかったのです。では、信仰とはなんなのでしょうか?信仰とはなにか根拠のないものを信じることでも、なにかの体験をもとに信じるといった経験的なものでもありません。本当の信仰とは、真の神様のことばに信頼すること、つまり聖書のみことばを信頼することです。その中心にあるのは、イエス様が私たちの罪の罰の身代わりとなり十字架にかかり死なれ、自身が神であることを示すために三日目の朝に復活されたことを信じるだけで、死語に永遠の裁きではなく、天国に行くことができるということです。この福音に信頼することが最も重要なことなのです。

 

10月9日 「ヤベツの祈り」 歴代誌第一4:10 

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。 ヤベツはモーセやダビデ、ソロモンのような有名人ではなく、平凡なユダヤ人であった。彼は「痛み」という意味の名前を持ち、その出生は望まれないものであった。それゆえ、暗い過去や先の見えない閉ざされた将来から新しい別の人生へ踏み出すことを決意した。 ヤベツは神様からの祝福を人生の究極の価値として求め、神様のためにより大きな影響力を持てるように、生活を拡大することを望み、誘惑や苦難から遠ざけられ守られるよう願った。この祝福を求め、地境を広げ、わざわいから逃れることを祈ることは、神様が私たちに望んでいることであるが、私たちは目の前の困難や現実を目にして、不信仰に陥ったり、神様に心から求めなくなったり、誘惑されて罪を犯してしまう弱い存在である。ヤベツのように熱心に求め続けて、祈り、神様が私たちに用意されている偉大な計画を成し遂げるために、一歩踏み出すことが必要である。

 

10月2日 「エリコの主イエス」 ルカの福音書19章1〜10節

 背の低いザアカイは前方に走り出て、いちじく桑の木に登りました。イエス様を見つけようとしました。けれども本当は、捜して見つけたのはイエス様の方だったのです。ザアカイがイエス様を見つけようと苦闘しているその背後で、イエス様がザアカイを捜して見つけるという神様の計画があったのです。私たちクリスチャンもイエス様のことを知り、イエス様のことを信じるようになりました。そこには神様の計画と導きがあったのです。そしてザアカイはイエス様に出会い、人からだまし取ってお金をもうける生き方から、貧しい人に施しをする生き方へ変化しました。ザアカイは施しをしたから救われたのではありません。彼は救われたことを喜び、感謝したから、施しをすることができたのです。私たちクリスチャンも救われるために行いをするのではありません。クリスチャンは救われているのです。罪を赦され、永遠の滅びから救われたことを喜び、神様に感謝しているから行動することができるのです。

 

 

 


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9月25日 「信仰によって生きる」とは   ハバクク2:4

見よ心のまっすぐな者は心高ぶる。しかし正しい人はその信仰によって生きる。
あなたは人生の方向の基準、また将来の希望の根拠をどこに置いていますか。世の中には私たちに感動を与える格言や有名人の言葉がありますが、この世の中で100%信頼できるのは聖書のみことばだけです。人が天国に行くまでに絶対必要不可欠なものは何でしょうか。
それは信仰です。クリスチャンは信仰によって生きるように召された(神様によって選ばれた)者です。皆さんは信仰によって生きていますか。多くの人は自分に問題が起こったときよく神様に祈ります。あなたは何に希望を託して生きていますか。今誰と一緒に歩んでいますか。
信仰によって生きるとは、困難な時も試練の時もまたそうでないときも、何か問題が起こった時だけでなく人生のどんなときでも神様に頼って生きることです。神様の福音を罪の許しだけでなく、人生の指針・希望として生きてくださることを心よりお勧めいたします。
関連聖書箇所  ローマ1:17 ガラテヤ3:11 ヘブル10:36〜39 詩篇62:5 ガラテヤ2:20

 

9月18日 創世記 3章1節〜13節より

この箇所はクリスチャン以外の人も知ってるほど有名で、学べるポイントが非常に多いのですが、今回は『犯しやすい罪』という点に絞ってメッセージします。新約聖書ローマ人への手紙3:10〜 にあるように、人が犯しやすい罪は発声器官に関連した部分から、と解釈できます。今回のエピソードでは、蛇(サタン)に誘惑されて失敗したエバは、蛇の誘惑を無視すれば良かったのに、うっかり蛇と"会話"してしまい神様との約束を破り、アダムは自分の失敗を神様とエバのせいにする発言をしています。これは私達の日常生活の中でもしばしば起こりうる状況です。自分の失敗を認めず、誰かのせいにしてしまいます。自分の弱さを認めて、神様にへりくだって、その弱ささえ補ってくださる神様の愛を知って、歩むことをお勧めします。

 

9月11日 「肉体と魂」 マタイ10:28

今日は米同時多発テロから10年、東日本大震災から半年です。いずれの災難も多数の死者が出ましたがいったいこの中で天国に行った方は何人いるでしょうか?聖書は人間は肉体と魂を持つと宣言しています。肉体が滅びる(死んでも)魂は生き続け、天国か地獄がどちらかに行きます。ある大脳の実験では右手を挙げるという神経への信号を送るのに加えそれをおさえてくださいとその被験者に伝えると左手で右手を押さえようとします。この押さえる意志が人間の魂ではないかとその学者は考えました。確かに目に見えませんが魂が存在します。私たちの存在理由はこの魂の救済であり、見えないゴールではなく本当にある天国か地獄にむかっています。どうぞ本当の存在理由を知り神を受け入れて下さい。

 

9月4日 「ガリラヤ・カナの主イエス」 ヨハネの福音書2:1〜11

 ガリラヤのカナで行われた結婚式で、ブドウ酒がなくなるという事件が起こりました。そこでイエス様は水をブドウ酒に変える奇跡を行って、結婚式が祝福なさいました。でも、すばらしいのはそれだけではありません。イエス様は、罪の許し、永遠の滅びからの救いそして永遠のいのちというすばらしいブドウ酒を与えてくださいます。それを私たちに与えるために、生涯の最後に十字架にかかって、私たちの身代わりに死んでくださいました。イエス様の愛と恵みを受け取ることによって本当に心から神様に感謝ができ、本当の喜びに満たされるのです。
 また私たちは、この結婚式の事件のように予期しない、あってはならない出来事に遭遇することがあります。しかしそのような事が起こった時は、神様がくださる良いブドウ酒を私たちが受け取ることができるビッグ・チャンスなのです。そのように理解するならば、私たちクリスチャンは何も恐れることなく、前向きかつ肯定的な歩みができるのです。

 

 


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8月28日 「本当の友」 

友人は地上における最大の祝福の1つである。金銭が何であろう。愛情は黄金にまさり、思いやりは地所にまさっている。本当に貧しい人間とは、ひとりも友がいない人間のことである。
本当の友と呼べる人とは?また人は何を基準としてその人のことを友と呼ぶのでしょうか?
滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。 箴言18:24
どう考えても、どう転んでも、すべての人は罪人です。裁きを免れることはありません。
人生最大の問題は、罪の許しを持っているかどうかです。
全てに勝る友とは、私たちのことをすべて知っておられ、私たちを守り、ケアしてくださる方、そして、私たちに罪の許しを与えるために、ご自分の命を捨ててくださった方です。
あなたもぜひ、その方を友としてくださいますように・・・。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、
そのまま受け入れるに値するものです。第1テモテ1:15

 

8月21日 「神様を信仰して生きる」  ローマ 12:1〜2

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。この箇所はクリスチャンに対して書かれている記事です。クリスチャンはイエス様を自身の救い主であると信じています。また、この世の考えとは価値観を異にするようにと書かれています。そうするためにはまず、みことばを聞くことから始めることが大切です(ローマ10:17)。また、聖書には一般的に奇跡と呼ばれる記事(5つのパンと2匹の魚、ラザロの復活など)が多く記されています。それらは歴史的事実であり、クリスチャンはそれらの聖書の言葉を神様の言葉だと信じています。しかし(ルカ14:16〜24)のように、聖書の言葉を聞きながら、実際には自分の考えに従って生きること、つまり聖書の言葉に自身を委ねないものになっていないでしょうか?ヤコブの手紙(2:14〜18)において、思いは行動に表れると記されています。今一度聖書の言葉に立ち返り、神様に信頼し、自身を委ねて歩むことをおすすめします。

 

8月14日 「御言葉に生きる」

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。ヤコブ 1:21
私達の人生において、言葉の影響力は大きい。
言葉は人の考えに影響し、考えは行動に繋がる。行動の繰り返しが習慣となり、習慣によって人格が形成され、やがて人生を左右する。
神様の言葉である御言葉に基づいた人生は実り豊かなものとなる。
御言葉に生きることは
@御言葉を受け入れる姿勢 A御言葉を思いめぐらす B御言葉を実践すること
である。御言葉に生きることで、私達はキリストに似た者へ変えられていく。

 

8月7日 「ゲッセマネの主イエス」  ルカ22章31〜34、39〜62

 ペテロはイエス様のためなら命も覚悟していました。自信や誇りがありました。同時に高慢になっている自分に気づいていませんでした。しかしペテロは現実に命が危うくなると、イエス様を裏切ってしまいます。そのことによってペテロは大きく傷ついてしまいました。実はペテロがそのようになることを、イエス様は知っていました。だからイエス様はペテロに対して「あなたの信仰がなくならないように祈っている。」と言われたのです。
 私たちクリスチャンも、ペテロと同様に大きな罪を犯す可能性があります。本当に罪深く、弱い人間です。しかし神様は、そのような私たちを理解してくださっています。そしてイエス様がペテロのために祈られたように、私たちの内におられる聖霊なる神様は、私たちが神様の愛と恵みについて意識できるように、いつもとりなしをしてくださっています。私たちは神様に感謝して歩むことができるのです。

 

 

 


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7月31日 「あなたが救われるために」 

人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13) イエス様は、友だけではなく全世界の人々のために命を捨ててくださいました。私たちを愛するがゆえにご自身の命をささげてくださったのです。
キリストは・・・ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。(ヘブル7:25) イエス様の救いは、全世界の人々に対して平等に与えられています。でも、全ての人が救われるわけではありません。救われるのは自分から神様に近づいて、神様の救いの御業を信じる人だけです。救われるかどうかは、あなた自身の決断にかかっています。行いは必要ありません。ただ信じるだけで良いのです。
神様がせっかく用意してくださった全人類のためのすばらしい救いを決して無駄にしないようにしてください。この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。(使徒4:12)


7月24日 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」
わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節より

この御言葉を語られた方はイエス様ですが、イエス様は愛に満ちた方、完全に人の心を知っておられる方、私たちを愛するがゆえにご自身の命をささげてくださった方です。
また、決して約束を破ることができない方、ご自身に頼る魂を失望させることがない方です。
イエス様がこの御言葉を守ってくださることについては全く疑いの余地はありません。
皆さんはこの世の価値観に流されて生きていませんか。イエス様に本当の安らぎと希望と信頼を置いて生きていかれることを心よりお勧めいたします。
続いてこの御言葉は誰に向かって語られたのでしょうか?
この御言葉は、全世界のすべての人々に向かって語られました。
この続きは、次回に・・・。

 

7月17日 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節より

この御言葉を4つの視点から見てみたいと思います。この御言葉は、
@誰が語っておられますか
A誰に語っておられますか
B何をするように求めておられますか
C何を与えようと言っておられますか
@この御言葉を語られた方は、イエス様です。イエス様とはどういう方でしょうか
イエス様は、全能なる方・ハデスと死のカギを持っておられる方・神と人と仲介者・罪なき方・私たちが抱える膨大な罪をすべて抱えて十字架に架かってくださった方です。
イエス様は、罪に支配された私たちに本当の休息、本当の喜びを与えてくださる方です。
この続きは、次回に・・・

 

7月10日 「キリストにある一体性」 ローマ人への手紙12章15節

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 カインはアベルの祝福をを喜ぶことができず、サウルもダビデの成功を喜べなかった。私達も自分より分の良い人と喜びを分かち合えない罪の性質を持っている。一方、ヨナタンはダビデの喜びを共に分かち合うことができ、自分より分が悪くなったダビデと共に泣くことができた。 それはヨナタンがダビデを愛していたからである。 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しむように、神様はキリストのからだである教会に、愛に基づいた一体性を求めている。 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。 エペソ人への手紙4章2節

 

7月3日 「ガリラヤ湖の主イエス」 ルカの福音書5章1〜11節

 ガリラヤの湖で漁師をしていたペテロは、イエス様の中に神様のすばらしさを見ました。同時に、自分がみにくく、罪深い存在であることを認識したのです。そしてイエス様は、そのようなペテロを何もかも知った上で、赦した上で招いてくださり、導いてくださる方であるからこそ、ペテロは仕事を捨てて従うことができたのです。
 人間は誰しも罪人です。弱さを持っています。私たちの知性や感情がすばらしいはずがありません。神様を忘れてしまったり、無視することもあります。しかしそんな私たちを何もかも知った上で、赦した上で、私たちを招いてくださり、導いてくださる、そのようなすばらしい方がイエス様です。
 イエス様は私たちを愛するがゆえに、ご自身が十字架の上で、私たちの刑罰を身代わりに受け、命を捨てて、私たちを永遠の滅びから救おうとされたのです。すばらしいのは私たち人間ではありません。神様がすばらしいのです。

 


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6月26日 「選ばれた者」  ローマ書:1章1〜7節

 この手紙の著者はパウロです。でも本当の著者は神様です。神様の霊感によって動かされたパウロが神様からの真実を語ったからです。パウロはかつては、クリスチャンを迫害する者でした。しかし神様はそんなパウロを神の福音を伝える選びの器として用いられました。
 イエス様を自分の救い主と信じている人(クリスチャン)は、全員神様によって選ばれた者です。選ばれた私たちの努めは、イエス様のことを人々に証しすることです。イエス様のことを伝えることができるのは私たちしかいないのです。
 かつて、十字架は呪いのしるしでした。でもイエス様が十字架刑に架かられてから、十字架は救いのしるしへと変わりました。イエス様は私たちに代わって十字架上で呪いを受けてくださったのです。イエス様はいつもあなたを見守っておられ、いつも愛しておられます。
これは決して変わることのない絶対不変の真理です。なぜならこのことは私たちが努力して勝ち取ったものではなく、絶対不変の神様によって与えられたものだからです。

 

6月19日 「ベタニヤの主イエス3」 ヨハネの福音書11章17〜44節

 マルタは、自分の兄弟ラザロが死んでしまったという状況において、イエス様を前にしながら絶望の言葉を発しました。マルタはこれまでイエス様と会っています。でもこの時、イエス様がいのちを支配しておられる方であるという、大切なことを忘れていました。
 私たちクリスチャンも、マルタと同じように、自分に起こった出来事に対して、自分の知識や経験のみで対処し、いつのまにか神様を忘れたり、神様を閉め出したりしていないでしょうか。その結果、悲観したり、絶望したりしていないでしょうか。
 神様はすべてのことを支配されている方です。私たちに起こる出来事で、神様と関係ないことは何一つありません。私たちの方が「このことは神様と関係がない。」と勝手に判断しているのです。私たちは、神様を見ずに信じることができました。そしてこの世を歩む上においても、目の見えない神様、そして神様の愛と恵みに目を注いで歩むことが大切ですし、そのことを神様は望んでおられます。

 

6月12日  博士の愛した数式から見る神のみわざ

「神は存在する。なぜなら数学が無矛盾だから。そして悪魔も存在する。 なぜならそれを証明することはできないから」−数論研究者 アンドレ・ヴェイユ− 数学の世界では友愛数、完全数、不足数、過剰数などすばらしい秩序をもって、成立しているルールがあります。このルールを小説[博士の愛した数式](小川洋子著)の主人公博士はこう表現しています。 『数を生み出した者に比べ,我々人間はあまりにも愚鈍だ。』 『そう,まさに発見だ。発明じゃない。自分が生まれるずっと以前から、誰にも気づかれずそこに存在している定理を,掘り起こすんだ。神の手帳にだけ記されている真理を、一行ずつ、書き写してゆくようなものだ。 その手帳がどこにあって,いつ開かれているのか,誰にも分からない』 聖書には神様のルール・恵みが不変であることが書かれています。 主の恵みは,とこしえから、とこしえまで,主を恐れる者の上にある 詩篇 103:17

 

6月5日 サムエル記第一 21:10〜15

この時ダビデは国を追われ命を狙われ敵国に逃げて捕らわれ命の危機にありました。頭のおかしいふりをしてなんとか危機を脱しています。そんな中にあっても神様を賛美し喜んでいます。とても難しいことだと思います。
私達も日々の生活の中で良いことも悪いこともあります。思い悩んだり悔しい思いをしたり喜んだり悲しんだり、私は上がったり下がったりします。
しかし私達を愛する神様は変わらず愛してくださり許していてくださいます。
どんなときにも神様は変わらず共にいてくださいます。
神様は変わりません。そのことを覚えることは幸いです。

 

 


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5月29日 「信頼」マタイ8章5・13節

先日、ニュースを見ていると東京電力が震災の数日後に原子力発電所の炉がメルトダウンしていた事実を隠蔽してたことを伝えるニュースを見ました。このニュースによって東京電力は多くの人々からの信頼を失ったことでしょう。信頼というものは築き上げるのには時間がかかりますが、失うのは一瞬です。信頼を保つのは本当に難しいことだと思います。私たちも日々の生活の中でさまざまものを信頼して生きてます。その一番大きなものは神様の愛への信頼(=信仰)ではないでしょうか?このマタイの箇所に出てくる百人隊長は異邦人にもかかわらず、イエス様の神性に対して絶大な信仰を持っています。対して、マルコ5:21・43に登場する会堂管理者ヤイロはユダヤ人で律法に詳しいはずですが、イエス様に対する信仰は人間レベルでしかありませんでした。この差は非常に大きいものではないでしょうか?私たちはヤイロのような信仰ではなく、百人隊長のように絶大な信頼と信仰で主の愛に感謝してくことをお勧めします。

 

5月22日 「エール」 コリント人への手紙第2 6章1.2節

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

 人は人々に様々なエールを送ります。でもその中には届くエールと届かないエールがあります。本当に届くエール、それは神の愛です。神に愛されていることを知るとき 人は変わります。神様は私たちを愛しておられ、その愛のゆえに十字架上で苦しみ 死なれました。これほど大きな愛は他にはありません。
 ノアの時代、多くの人々はノアの警告を聞き入れず、箱舟に乗ることを拒みました。 やがて大洪水が起こり、ノアとノアの家族以外の人々は全員滅びてしまいました。
 今の時代は、ノアの時代にとてもよく似ています。手遅れにならないうちに、あなたも神様からのエール(神の愛)に気づいてくださいますように・・・。

 

5月8日 「カミサマハ ワタシノチカラ」

阪神のマートンにとって神様とは?
“神様は僕にとって救世主なんだ。イエスキリストは誰に対しても同じような機会を与えてくれる。人間はだれしもが完全にはできていない。どんな人であっても平等に見守ってくれている。” 世界には無国籍の人が約1,200万人います。
クリスチャンの国籍はどこでしょうか?

「私たちの国籍(市民権・市民共同体)は天にあります」 (ピリピ3:20)
イエスキリストはすべての人(国籍・無国籍に関係なく)のために死なれました。私たちの生きる理由は死んでくれたキリストのために生きることです。
(第二コリント5:14)

 

5月1日 「ベタニヤの主イエス2」 ヨハネ11章1〜44節

イエス様は、ラザロが死に瀕している時、マルタとマリヤの願い通りに行動されませんでした。しかしそのことによってイエス様はいのちを支配し、死に勝利する方であることを示されたのです。私たちが苦しんでいるとき、悲しんでいる時、悩んでいる時、私たちは神様にそれを解決してくださるように願います。しかし神様はその願いに応えてくれないかもしれません。その時に「神様が今、自分をこのような状況に置いているのは、必ず理由がある。このことを通して、神様はご栄光を表そうとされている。」ということを私たちは信じるべきです。
 そしてイエス様は、ベタニヤの人々のために涙を流されました。神様はすべてのものを支配したもう方です。しかし完全な人間のこころを持った方であり、私たち人間の苦しみのすべて、悲しみのすべて、弱さのすべてを理解し、同情できる方なのです。私たちクリスチャンはこのようなすばらしい神様を、イエス様を信じることができたのです。

 

 


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4月24日 『子供のように』

まことに、あなたがたに告げます。 あなたがたも悔い改めて 子どもたちのようにならない限り、 決して天の御国にはいれません。  新訳聖書 マタイによる福音書 18:3
子どもの特性
 1. 親に対して 信頼で応える 2. 叱られたあと謝れるか 3. 我を忘れて熱中する
罪とは?
 ・神と断絶して生きる ・的外れ ・自己中心
人生の疲れる原因 BEST3
 ・日々の 思い煩い ・罪の重荷 ・死の重荷
わたしたちは子どものように真の親である神様に信頼し、我をゆだね、罪や死の重荷から解放されるべき者です。

 

4月17日 「計画」  伝道者の書3章1節〜11節

 昨今の日本は、噴火・竜巻・地震・地震で破壊された原発からの放射能の脅威、など恐ろしい出来事が続いてます。その惨状を見た人はしばしば「神様がいるなら何故こんな酷いことをするのか?」と神様に愚痴を言ってるのを見かけます。しかし、その思いは正しいのでしょうか?おそらく神様に愚痴を言う人は、自分に良いことが起きたときに神様に感謝する気持ちを忘れ自分に対して「よく頑張った!」としか思ってなかったのではないでしょうか?それはあまりに自己中心的、人間中心的な考えのように思います。そして、もう一つ覚えていていただきたいのは、神様は人間に対して酷いことをしているわけでなく、むしろ人間を愛しておられます。すべては神様の計画の中にあるのです。時間という制約の外にいる神様には、今の辛い時期を乗り越えたときに私たちにどんな未来があるのかをご存知です。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」この聖書の言葉を信じ、いかなる時も揺るがない信仰を持つことをお勧めします。

 

4月10日 「ベタニアの主イエス」 ヨハネの福音書11章1〜16節 

 ラザロは重い病気にかかり、死に瀕していました。姉妹のマルタとマリヤは使いをやり、イエス様に助けを求めました。しかし、それを聞いたイエス様はすぐにラザロの所に行かず、そのおられた所に2日も留まったのです。「ラザロが死ぬことを分かっていながら、2日間も放っておくなんて、イエス様は残酷な方だ。」と思われるかもしれません。
でも5節にあるように、イエス様はマルタ、マリヤそしてラザロを愛しておられたのです。これが真実です。イエス様が2日間留まられたのは、それが神様にとって最もよい方法であったからです。
 私たちは状況を見て、神様の愛を測ろうとします。でも、私たちに対する神様の愛が変わることはないのです。私たちは生きている限りいろいろなことが起こります。時には思いがけないこと、理不尽なこと、そして残酷だと思えることも起こるかもしれません。
けれどもどんな状況になったとしても、ひとり子を犠牲にされて私たちの罪を赦してくださった神様の愛は変わることはありません。これを確信することが大切です。

 

4月3日 「私たちの希望」 ローマ人への手紙8:18〜30

私たちが苦しみの中にある時、神様は私たちと共にいてくださり、同じように苦しみ、そして助けてくださいます。また、全てのことを働かせて益としてくださいます。
その益とは、神様の御心にかなったものであり、時として私たちの想像していたものでなかったり、意思に反するものであるかもしれません。
しかし、ヨセフやパウロのように神様は私たちが素晴らしい幸いな人生を歩めるように導いてくださいます。

そして、今の時のいろいろな苦しみは将来私たちに与えられている栄光に比べれば、取るに足りないものであり、永遠の時間の中ではごくわずかな時間でしかありません。

私たちは神様による完全な救いがやってくるその日まで、希望を捨てずに堅く立ち、世の惑わしに動かされることなくいつも主のわざに励みましょう。

 

 


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3月27日 「神の愛」  ローマ人への手紙 5:8

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 この世の多くの宗教が救いを教えていますが、現実に十字架の死と復活という事実があるのはキリスト信仰だけです。イエス様は十字架刑という当時世界最悪の方法で処刑され、人類の歴史上に神様の救いを完成してくださいました。この事実によって全世界に神様の愛を示してくださいました。
 ものの価値はそのものにどれだけのお金(代価)を払うか、またそのものは誰の手の内にあるのかによって決まります。イエス様は私たちの命を救うためにご自分のいのちという代価を払ってくださいました。また救われた私たちは神様の手の内にあるのです。これほど価値あるものは他にはありません。神様の救いをぜひ信じてください。

 

 

3月20日 「恵みと平安」 マタイ24章3〜14節

 「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。 −中略− 「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります・・・。」

東北地方太平洋沖地震が起きて、日本は今 大変不安な状況にあります。しかし、よく周りを見てみますと戦争や経済からくる不安など、私たちの周りには常に不安な事が多いのではないでしょうか?聖書はこの箇所を通して預言しています。私たちの時代の先にはもっと大きな不安「患難時代」が来る、と。私たちは目先の小さな安心よりも、まず神様の恵みを受け入れて、イエス様の十字架と復活を信じ、揺らぐことのない確かな平安を手に入れることをお勧めします。

 

3月13日 「しっかりとした土台に家を建てる」 マタイ7:24

 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。

 この箇所はイエス様が十字架にかかる前に最後に語ったたとえ話です。人間が土台としているものが確かなものかどうかの真価を問われるのは、人生の危機に直面した時です。死別、病気、引きこもりなど、、岩が土台の家は揺るぎません。しかし、砂の上の家は嵐に翻弄されて揺らいでしまいます。岩であるしっかりとした私たちの土台とは何でしょうか?それは聖書です。イエス キリストです。これ以外には救いはありません。

 

3月6日 「私たちは主のものです2」  ローマ14:7〜9 

 「いのち」には2つあります。ひとつはこの「肉体のいのち、地上でのいのち」です。やがて私たちは死を迎るときにこのいのちを失います。もうひとつは「永遠のいのち、天国でのいのち」です。これは誰でも持っているわけではありません。イエス様を信じた者、クリスチャンだけが持っているいのちです。イエス様を信じていない人は、このいのちを持っていません。
 そしてこの「肉体のいのち」と「永遠のいのち」に共通することがあります。それはどちらも神様が与えてくださったものであるということです。私たちは自分の力で生きているのでありません。神様によって「生かされている」のです。私たちが生きるか死ぬかは、神様が決められることなのです。そして神様は、ご自身のご栄光を現すために、私たちクリスチャンを生かしておられます。これは私たちの状態に関係なく、私たちに与えられた権利であり立場なのです。

 


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2月27日 「聖書は真理の書物」

聖書には非常にたくさんの預言が記されていますが、イスラエルの歴史を見ると聖書の預言が成就したことがはっきりとわかります。また人間の歴史の中には聖書の記事が真実であるという証拠が多数存在しています。聖書が真理かどうか、歴史から判断してくださいますように・・・。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。Uペテロ1:21
すべての国々を集わせ、諸国の民を集めよ。彼らのうちのだれが、このことを告げ、先の事を我々に聞かせることができようか。彼らの証人を出して証言させ、それを聞く者に『本当だ。』と言わせよ。あなたがたは私の証人、―主の御告げ。―私が選んだ私のしもべである。これは、あなたがたが知って、私を信じ、私がその者であることを悟るためだ。私より先に造られた神はなく、私より後にもない。私、この私が、主であって、私のほかに救い主はいない。この私が、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたがたのうちに、異なる神はなかった。だから、あなたがたは私の証人。―主の御告げ。― 私は神だ。これから後も私は神だ。私の手から救い出せる者はなく、私が事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう。イザヤ43:9〜13

 

2月20日 「迫害下にあるクリスチャン」  マルコ16:15 

パキスタンやイスラム教を国教における迫害の現状についてのDVDを観ました。イスラム教が国教になっている国々では、イエス・キリストを自身の救い主であると信じているただそれだけで迫害にあっています。例えば、教会や家を燃やされたり、場合によっては命さえ奪われることがあります。さらに、多くのこども達が教育を受けることができずにいます。その背景にはイスラム教を母体とした学校が多いのでいけずに、そのこども達は労働をさせられています。そこでは虐待もあります。この虐待や労働をさせている人たちには罪の意識はなく、イスラム教の神の名の元に行ってています。
そのような環境にあっても神様に信頼しているからクリスチャンは死への恐れがないのです。また、現地では集会や礼拝にいくまでに5〜15時間かけていっています。
そのような世界で神様にあって歩んでいる兄弟、姉妹のために祈り、また私たちも今一度神様に感謝をもって歩みましょう。

 

 

2月13日 「神様と人間との新しい契約」 Iコリ11:23/エレ31:31

「茶経」は中国の陸羽(733-804年)が体系的に茶の世界をまとめた経典です。
喫茶=お茶の契約=結婚の約束=聖なる約束という意味があります。
私たちは聖書を通して神様から新しい約束(契約)をいただきました。
旧約の時代、律法を守れなかった人間に対して神様は地位の高い人も、低い人にも福音という新しい契約を与えられました。(エレミヤ31:31)
陸羽は容姿が醜い=地位が低い(当時の中国の考え)存在でした。
しかし陸羽が茶の世界で成功したように、人間は地位に関係なく聖書の約束を
信じれば人生に対して、死に対して勝利できます。
法律の世界の原点は何でしょうか?日本国憲法の原点は米合衆国憲法です。
米合衆国憲法の原点は聖書です。

 

2月6日 「私たちは主のものです」  ローマ14:1〜10

 私たちクリスチャンは神様のために生きています。「神様のために生きるように努力しなさい。」という意味ではありません。私たちはイエス様を信じた時点で、神様のために生きるものとされているのです。これには例外はありません。すべてのクリスチャンが神様のご栄光を表すために生かされているのです。
 人間はいつ死ぬか分かりません。何が原因でどのような状況で死ぬかも分かりません。でも私たちがいつ、どのように死ぬかも、神様はご存知です。しかも私たちが死ぬ時も、神様のご栄光を表す機会として用いられるのです。
そもそも私たちは愚かな罪人です。そのような罪人を、神様は受け入れてくださいました。しかも罪なき者として、神様の子どもとして受け入れてくださいました。そのように受け入れてくださるために、大切なひとり子を犠牲にされました。そのひとり子とはイエス・キリストであり、その犠牲とは十字架です。

 

 


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12月11月10月9月8月7月6月5月4月3月2月1月

1月30日 「世の終わりの預言」  黙示録13:16〜18 

私は今年のお正月を病院で過ごしました。年末12月30日に急な腹痛のため救急病院を受診すると急性胆嚢炎のため入院手術が必要と診断され、1月7日まで入院していたからです。病院に入って最初にされたことは手首にバーコードを巻きつけられることでした。大きな病院では毎日看護士さんが交代するので、患者毎にどのような治療が必要か等、間違いがないようにバーコードによって患者が管理されているのです。バーコードはスーパーなどではよく見かけますが今や人間までもがバーコードによって管理されるようになったのかと多少の驚きでした。
またそのとき「世の終わりが近づくと手か額に刻印を押され、その刻印がない者は一切売ることも買うこともできなくなる。」という聖書の黙示録の御言葉を思い出しました。いまやバーコードは全世界に普及し、バーコードを目にしない日はないといっても過言ではないでしょう。バーコードなしには物を売ることも買うこともできない世の中になりつつあります。聖書の預言の成就がすぐそこまで近づいていることは間違いありません。

 

1月23日 「神様の存在と真の喜びある人生」 

初めに神が天と地を創造した。創世記1章1節

創世記1章1節は、神様(=創造主)がおられることの宣言です。もし人間が偶然に発生したのであれば、そこには生きる意味も目的もなく、ただ欲望を満たすためだけの人生に終わってしまいます。最後に残るのは空しさだけです。聖書は人間は創造主なる神様によって創られ、神様の栄光を表すという目的のために生かされていると語っています。あなたは今喜びを持っていますか。その喜びは@永続性のある喜びですか。またA魂まで届く喜びですか。もしそうでなければその喜びは本物の喜びとは言えません。いつか消えてしまいます。真の喜び(@A二つの条件を満たす喜び)を人に与えることができる方は唯一イエス様だけです。イエス様は創造主なる神様が人となられた方だからです。あなたもイエス様を信じて真の喜びある人生をご自身のものとしてくださいますように心よりお勧めいたします。

 

 

1月16日 「イエス様の復活」

イエス・キリストの復活にはクリスチャンが信じている福音が要約されています。
[1]聖書が真の神様のことばであること(Tコリント15:3〜6)
[2]神様の実在を証明(Tペテロ1:21)
[3]罪人には裁きがあること(使徒17:31)
[4]イエス様が神様であること(イエス様の神性)(ローマ1:3〜4)
[5]イエス様の無罪性(ローマ6:23)
[6]イエス様が救い主であり、キリスト者が神様の前に義とされることを保証すること(ローマ4:24〜25)
みことばによってイエス様の十字架と復活の意味を今一度覚えて、感謝してあゆみましょう。

 

 

1月9日 「イエスキリストのよみがえりの証拠」  ルカ24章

 2010年の漢字は「暑」でした。残暑がとても厳しく熱中症になる人が多く出た大変な一年でした。私たちが本来熱中するべきこととしてイエスキリストの復活は本当だったのかという話題があります。
 先月はイエス様の十字架について語りましたが、本日はよみがえりの証拠を提示します。例えば、
A.多くの目撃者 B.数々の歴史資料 C. 空になった墓 D. 多くの殉死者
(詳細割愛)

マルティン・ルターはこう言いました。
「たとえ明日, 世の終わりが来るとしても、私は今日, リンゴの木を植えよう」

 

1月2日 「キリスト者とこの世」 ローマ人への手紙13章11〜14節

 「この世」というのは、神様を除いた人間の世界です。神様を信じない人たちは、罪に支配されています。そして悪魔に支配されています。そしてこの世はやがて神様によって滅ぼされます。この世と私たちクリスチャンはどのような関係にあるのでしょうか。
 第一に、私たちはこの世のものではありません。私たちの国籍は天にあります。私たちはこの世の旅人です。この世に根付いて生活することはできません。第二に、私たちは福音を伝えるために、この世に遣わされた者です。福音を伝える者がいなければ、信じる者は起こされません。第三に、私たちはこの世で戦わなければならない存在です。私たちが戦う相手は、この世の支配者である悪魔です。悪魔はいろいろな手を使って私たちを攻撃したり、誘惑したりします。しかし、イエス様が私たちを守ってくれます。
 やがてイエス様は栄光の姿となって、私たちクリスチャンを迎えるために、再びこの世に来てくださいます。その時は刻々と近づいています。

 

 

 

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