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12月27日 「真の福音」 第1コリント 15章1〜8節  

 「モキュメンタリー」という言葉があります。これは「ドキュメンタリー」という単語をもじって造られた言葉で「真実のように見せかけて精巧に作られた嘘」などの意味があり、映画の手法として最近用いられてます。
 しかし、どのように精巧なモキュメンタリーでも、ちゃんとした調査や歴史的証明の定義に当てはめることで嘘であることが容易にバレてしまいます。
 対して、聖書に記されたイエス様の復活や様々な奇跡は2000年経った今でも、誰もその真実性を否定できる者はいません。こちらは正にドキュメンタリーです。
 このしっかりとした聖書の真実性を学びつつ、喜びの人生を歩むことをお薦めします。

12月13日 「系図の重要性」〜イエス・キリストとは〜マタイ:1章1節〜

1.イエス.キリストは実在の人物:“キリストはティベリウスの代に、総督ポンテオ・ピラトによって死刑にされた” コルネリウス・タキトゥス 「年代記」の著者 天地創造に匹敵する新しい創造(創世記2:4/5:1)
2.イエスはキリスト(救い主)である:『私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。』
バプテスマのヨハネの言葉(マタイによる福音書3章11〜12節)
3.人は系図では救われない:14代で3分割
(1) アブラハム〜 ダビデまで (2) ダビデ〜バビロン移住まで (3) バビロン移住〜 キリストまで

12月6日 「罪に対して死んだ者」 ローマ6:1〜11  

どんなに罪を犯しても、イエス様を信じていれば、救われている
ことは真実です。だからと言って「いくらでも、どんな罪でも犯し続けても
よい。」ということにはなりません。
 この箇所の「罪」は単数形であり、人間を支配している「罪の主人」です。イエス様を信じることによって、この罪の主人に対して「死ぬ」のです。「死ぬ」というのは、奴隷がその主人から解放されることを意味します。
 イエス様は十字架について、私たちの生涯で犯す数々の罪(複数形)のために身代わりになって神様に裁かれてくださいました。私たちの「罪のため」に死んでくださいました。それだけではありません。罪(単数形)の奴隷であった私たちを解放してくださるためにも死んでくださいました。「罪に対して」も死んでくださったのです。感覚では捉えられないことです。でも聖書を通して、神様が人間に教えている真実です。この真実を理解し、受け入れ、そして感謝しましょう。

 

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11月29日 「100人隊長の信仰」 ルカによる福音書7:1〜10

「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は私にはありません。ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただおことばをいただかせてください。そうすれば私のしもべは必ずいやされます。」

この箇所に登場する100人隊長は、偶像崇拝に支配された国家において真の神様を見出しました。彼は自分の罪深さを認め、自分は決してイエス様の前に立てるような清い人間ではないと考えていました。また神様の権威をとてもよく理解し、神様には不可能なことは何もないと考えていました。この世の中は神なき価値観に支配されています。あなたはご自分の人生において、何に価値観を持っておられますか。この世がどんなに変化しても決して変わることのないものにこそ真の価値観があります。100人隊長のように生ける真の神様に価値観を持っていただくことをお勧めいたします。

11月22日 「ダニエルの70週」 ダニエル書9章25節  

この箇所では、イエス様が来られる時について、驚くほど正確に預言されています。
エルサレムを再建せよという命令は、BC457年に出されました。それから7週と62週の後すなわち69週(483年)後はAD27年になります。この年は、イエス様がバプテスマのヨハネよりバプテスマを受けられ、公の生涯を開始された年です。
旧約聖書の中にイエス様に関する預言は300以上ありますが、それらはことごとく成就しています。

 

-457+(7週+62週)×7=26 になるが、AD0年は存在しないので、実際はAD27年になる。イエス様はこの年より公の生涯を開始し、3年半の後に十字架で処刑されました。そして全人類の救いを完成されました。


11月15日 ダニエル書 7章 

23 彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、
全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。26 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』28 ここでこの話は終わる。私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心に留めていた。」

EU大統領の豹変のきっかけの流れ
1.イスラエル<ユダヤ>の対イラン<イスラム>攻撃 2.やがてイランからの反撃 3.石油・経済・テロ
4.イスラエルの敗北近し 5.中東和平の実現 6.平和/安全の叫び
着実に世界政府樹立準備が整えられ、聖書の預言通りの時代がやってくる。
クリスチャンである私たちは聖書の確実性をさらにおぼえ、伝道にはげみましょう!


11月8日 「誰に信頼するか」 ルカ 8:22〜26 

 湖の向こう側に行こうと切り出したのはイエス様でした。だからもし何か問題が生じたとしてもそれはイエス様に信頼していれば心配になるようなことはありませんでした。しかし弟子たちは波風が起こったときにそうすることができませんでした。私達は日々の生活の中で神様に信頼していると口ではいいながらそうでない思いや行動をしていないでしょうか。世の中の人を動かしているものには、罪責感、怒り・憤り、恐れ、物質主義、人に受け入れられることに対する執着心などがあります。日々の生活において忙しいといいながら私達の行動を動かすものがこれらのものになっていないでしょうか。本当に信頼できる方、裏切らない方は命を捨ててまで私達を救おうとしてくれたイエス様しかいません。私達の一番の問題を解決に導いてくださる方もイエス様しかいません。今一度そのことを覚えて主にあって歩みたいです。



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10月25日 「バプテスマのヨハネ」   

新約聖書におけるバプテスマのヨハネという存在の意味を考える
ことは、非常に有益です。バプテスマのヨハネは、旧約聖書と新約聖書をつなぐ重要な役割を担って登場します。ヨハネの登場とその働きは、旧約聖書イザヤ書の中で預言されていました。
 「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。預言者イザヤの書にこう書いてある。『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたと道を整えさせよう。荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」(マルコ1:1〜3)
 バプテスマのヨハネは、救い主が来られる前の道備えをする役目を担っていました。その彼がイエス様のことを「神」と宣言したのです。イエス様は、全ての人間を救うことのできる唯一の方です。
 私たちはこの世で多くの問題を抱えて生きていますが、私たちが抱えている多くの問題の解決策がイエス様の内にあります。

10月11日 「500年後に残るものは?」 

アメリカのヒュー・オブライエンという俳優が成功した
人の5つのプロセスをこう語っていました。
 1.“ ヒュー・オブライエンって誰? ”
 2.“ヒュー・オブライエンを下さい”
 3.“ヒュー・オブライエンのような人を紹介して下さい”
 4.“若かった頃のヒュー・オブライエンのような人を紹介して下さい”
 5.“ ヒュー・オブライエンって誰? ”
人生はこのようにむなしいものなのでしょうか?聖書に答えがあります。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。      第一コリント 13:13

10月4日 「恵みの支配2」 ローマ人への手紙5章12〜21節  

アダムとキリストの対比をまとめると、次のようになります。
人物:アダム(古い人類のかしら) キリスト(新しい人類のかしら)
行為:一つの違反・不従順      一つの義の行為・従順
結果:罪と定められる   義と認められる
死の支配・さばき    いのちの支配・恵み
人類:アダムの子孫 (古い人類) キリストにある者 (新しい人類)

 私たちは、イエス・キリストを救い主であると信じた瞬間に、アダムの子孫からキリストにある者に移されているのです。でも私たちは肉体を持っている限り、罪の性質を持ち続けます。しかし、アダムの子孫とは異なり、死とさばきに支配されていません。それだけでなく、義と認められ、永遠のいのちが与えられている、すなわち、恵みに支配されています。私たちの性質が変わったのでなく、立場が変わったのです。

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9月27日 「試練とは」 

神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。第一コリント 10:13
試練とは
 1. 耐えられない試練はない
  ・すべて先人が経験したもの・受け止め方の違いで大きく変わる
 2. 脱出の道がある
  ・脳は人生観に左右される・答えのない問題はない
 3. 脱出の道を備えられるのは神
  ・神より大きい問題はない・人より大きい問題はある(神を人生から締め出したい)
神から離れると
 1. 人生の意味を見失う 2. 人を恐れるようになる(神以外の権威(人のことば)をおそ
 れる) 3. 自己中心になる

9月20日 「神様との距離」 マタイ6:24〜34、ヘブル13:5 

人は他人との関係において常に親密な時期があるわけではありません。時には距離を置く時期もあります。例えば思春期の親子の関係や友人との関係などです。真の神様と私達の関係においても同じことが言えます。時には神様が感じられないときがあります。ではなぜそのようなことを神様がなさるのかというとそれは私達の信仰の成長のためなのです。神様が求めておられることは、感情的なものではなく、神様に信頼することを求めておられます。また神様が私達から離れているわけではなく実はいつもともにおられます。私達が神様に信頼して歩むためには神様を知ることが大事です。その中で最も重要なことは、神様は私達を愛してくださっており、その最大の形として私達の最も大きな問題である死後の永遠の裁きにたいしてイエス様の十字架での血潮と御子であることをしめすための三日目の復活を与えてくださったことです。まずはこのことを覚えることが大切です。

9月13日 「伝道者の書 12:13、14」 

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ、悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」
あなたは何のために生きていますか?
クリスチャンは下記の3つを目的に生きています。
1:神を知るため(上記伝道者の書)
隠れたこととは罪のことです。罪という漢字は「包み隠す」のつみの部分から独立してできた漢字です。
2:神の栄光を現すため(第一コリント10:31)
3:互いに愛し合うため(マタイ22:37〜39)

9月6日 「恵みの支配」 ローマ人への手紙5章12〜21節 

 最初の人間であるアダムは、神様の命令を破って善悪の知識の実を食べてしまいます。この事件がきっかけで人間は罪の性質を持つようになりました。どんな人間も生まれつき罪の性質を持っているのです。ですから生きていく中でいろいろな罪を犯します。その結果、死後に犯した罪を裁かれて、永遠の地獄で苦しまなければならないのです。そして人間が行った罪の中で一番大きな罪は、神の御子イエス・キリストを十字架につけたことです。イエス様の十字架は、人間の罪深さ、汚さ、おろかさ、残虐さ、神様への無視や敵対がすべて証明された瞬間です。しかし神様は、その時に人間を滅ぼどころか、イエス様の十字架を人間を救う方法としてくださったのです。イエス様に人間のすべての罪を背負わせ、人間の身代わりにイエス様を裁かれたのです。まさに神様の恵みが満ちあふれたのです。

 

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8月30日 「テサロニケ第一 5章16〜18節」

私自身単純なもので、いつも周りの状況によって気分が上がったり下がったり・・・ いつも同じ調子でいることは簡単なようで難しいです。
 たとえば勝負の世界ですとゴルフのタイガーウッズ 彼は優勝のかかったプレーで相手のパターの時に、心の中で『入れっ』と思うそうです。人情的には『入るなっ』と考えてしまいますが・・・ ゴルフは紳士のスポーツ、精神的な部分も大切なんですね。
 私達も、この世の中にあっていろんな事柄に流されしまうかも知れません。
しかし、神様はいつも変わりません。私の状態が良くても悪くても、いつも同じ愛と恵みで待っていてくださいます。
 私達もいつも神様に向かい居られるなら幸いです。

8月23日 
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない
人にも雨を降らせてくださるからです。 マタイ5:45 

以下の質問にあなたは答えられますか?  
1.人間はだれが創りましたか?    2.この地上はだれが創りましたか?  
3.死んだら人間はどうなりますか?  4.罪とはどんなことですか?  
5.罪があるとどうなりますか?
6.イエス・キリストはいったい誰であると聖書には書いてありますか?
7.イエス・キリストの十字架にはどのような意味があったでしょうか?
8.イエス様は自身が神様であることをしめすために何をしましたか?
9.死後に地獄にいくのを避けるためにはどうすればいいですか?
10.以上のことはどこに書かれていますか?  11.そのことは本当ですか?
12.今イエスさまの十字架と復活を受け入れていますか?
全ての答えは永遠のベストセラーである、聖書の中にかかれています。

8月16日 「神様との平和」 ローマ人への手紙5章1〜11節 

神様との平和を持つためには「信仰によって義と認められる」こと、すなわちイエス・キリストを信じる信仰によって、神様から正しいと認められることが大前提です。
 神様は完全に正しい方です。その裁きも完全なものです。罪をもった人間は神様によって裁かれ、刑罰として地獄へ行かなければなりません。しかし、人間を愛しておられる神様は、ひとり子のイエス様をこの世に遣わされました。イエス様は十字架上で、人間の身代わりになって、神様からの刑罰を受けてくださいました。そのことを信じ、神様から義と認められたのがクリスチャンです。ですから、クリスチャンは神様との平和を持っているのです。
 またこの「平和」はヘブル語では「シャローム」という言葉です。豊かに与えられて、満ち足りた状態を表します。人間は神様の存在を認め、イエス様を信じて義と認められ、それではじめて、神様からの愛と恵みをいただいて、豊かに生きていくことができるのです。そのような神様の平和を持つ者は「患難さえも喜ぶ」ことができるのです。

8月9日 「砂の上の家と岩の上の家」   マタイ7:21〜29 坂井兄

私たちクリスチャンはしっかりとしたイエス様という岩の上に家をたてています。しかしそれ以外の人たちは危うい砂の上に家を建てています。24節の「だから、」はその前の21節から23節の前提を受けて続いています。
この節は当時のユダヤ人にあてたものであり21節の「天の御国」とはユダヤ人が本来待ち望んでいた「神様の支配の及ぶ範囲・国」をあらわしています。
このように聖書には第一義的にはユダヤ人にあてたもの、二義的には私たちにあてた表現があります。

 

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7月26日 「あなたは私の目には」 イザヤ書43:4,49:15

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい女たちが忘れても、この私は忘れない。

 私とはいったい何者なのでしょうか。この私にいったいどれほどの価値があるのでしょうか。神様はこんな私を愛しておられ、私のことを忘れ去るようなことは決してありません。このことはただの空想や作り話ではなく紛れもない事実であります。神様はご自身の命を犠牲にすることによって、この事実を行動で示してくださいました。
 今から約2000年前、神様は人となってこの世に来られ、私の罪の身代わりに十字架上で裁きを受けてくださいました。ご自分の命と引き換えに私の魂の救いを完成してくださったのです。
 みなさんも自分の人生について、ぜひ一度考えてみてください。


7月19日 「人間の創造と罪」 創世記1:27〜3:24 

世の中では人間は偶然に進化したと教えられているが、現在では
様々な根拠から人間が進化によって発生したことが正しいとはいえないことがわかっており、創造主なる神様が人間を創造したというのは事実である。
神様によって最初に創造された人間であるアダムとエバは完全な状態の世界に置かれていたが、ヘビ(サタン)による誘惑の末に自らの欲望から罪を犯した。そのことによって全人類に罪が入ったが、そんなアダムとエバに対して神様は獣の命を奪ってまでして皮の衣をつくって着せられた。これと同様に神様の恵みが我々に対しても与えられている。それがイエス・キリストである。イエス様は私達の罪における罰を代わりに受けるために十字架にかけられて命をおとした。そして神様であることを示すために3日目に復活された。そのことを信じれば死後において永遠の地獄ではなく永遠の天国に導かれる。それは我々を愛しているからこそであり、イエス様が血をながして命をかけてまでこの恵みに感謝したい。

7月12日 「クローン”でもう一人の自分(人間)を造ることは許されるか?」
                     創世記1章26〜27節 

神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
a.人は動物とは別に造られた
b.人が動物を殺すことは許された
c.動物の支配を人間にゆだねられた
クローン技術は人が発明したものではない! =創造主が計画されたもの!
例:・イチゴ(つるから繁殖)つるは親植物のクローン
よって聖書では、“クローン”でもう一人の自分(人間)を造ることは許されない

7月5日 「義とされる2」 ローマ人への手紙3章9〜27節  

 聖書は「義人はいない」すなわち人間はすべて罪人である、と語っています。そしてこの人間の罪の本質は、クリスチャンになっても変化することはありません。ではイエス様を信じると、何が変化するのでしょうか。それは私たち人間の立場です。罪人として神様から裁かれるべき立場から、神様から裁かれることなく、天国に行ける立場へ移されるのです。 この立場の変化について、押さえておくべき点があります。
 第一に、それは自分の努力でなしえるものではないということです。私たちが神様から「義とされる」方法はただひとつ、私たち人間の身代わりに誰かが犠牲になって、刑罰を受けるしかないのです。その犠牲になった方がイエス・キリストです。まさにこれは神様からの一方的な恵みです。
第二に、この立場の変化は私たちの感覚で捉えることはできません。ですから不安になるかもしれません。しかし、神様の言葉である聖書に記されていることであり、確かなこととして信じる必要があります。

 

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6月28日 「香油を注ぐ」 @マタイ26章とAヨハネ12章の比較

◇町:@ベタニヤAベタニヤ ◇日付:@過越しの祭りの2日前A過越しの祭りの6日前 ◇場所:@シモンの家Aマリヤの家 ◇香油の価値:@たいへん高価な香油A非常に高価なナルドの香油 ◇香油の種類:@埋葬用A結婚式用 ◇注いだ部位:@イエス様の頭Aイエス様の足
この二つの記事は、違う出来事を表しています。どちらの香油も300万円以上する高価なものですが@のほうがAより高価であったことがわかっています。いずれにしてもイエス様に香油を注いだ女性はそのとき決してもったいないとは思いませんでした。むしろイエス様に対する感謝の気持ちでいっぱいでした。イエス様の十字架上の犠牲がどれほど価値があるのかをはっきりと理解していました。本当の価値はお金で買うことはできません。イエス様の十字架による救いだけが、真実に価値ある人生を与えてくれる唯一の方法なのです。

6月21日 「義とされる」 ローマ人への手紙3章9〜24節 

 人間の本質は生まれながらにして罪に汚れた者、すなわち罪人であり、これは昔も今も変わっていません。10節以降の「彼ら」にはどんな人間の名前も当てはまります。そして人間は罪を犯すために、神様から裁かれ、地獄で刑罰を受けなければなりません。私たち人間は神様から、死刑を宣告されたようなものです。この死刑宣告が撤回されることは決してありません。ですから人間が神様から「義とされる」方法はただひとつ、私たち人間の身代わりに誰かが犠牲になって、刑罰を受けるしかないのです。私たち人間の身代わりに刑罰を受けてくださり、血を流して苦しんでくださった方がおられます。その方はイエス・キリストです。それが十字架のあがないです。神様は人間を愛するがゆえに、ひとり子であるイエス様を犠牲にされたのです。どうか神様の愛を知り、神様が提供してくださったイエス様の十字架を受け入れてください。

6月14日 「なぜ神様は地上を洪水で裁かれたか?」 創世記6章

すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。創世記6章13節
アダムから10代目の子孫ノアの時代には罪の性質も次第に悪くなっていた。
救いは全ての人に用意されていた建造中120年もの間神様は忍耐を持って人々が悔い改めることを待っておられた。<参考:ペテロの手紙 第一 3章20節>
●現代にも「箱船」は用意されている
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
ヨハネの手紙 第一 4章9節
ノアの箱船のように信じている人にも信じていない人にも等しく与えられている避難所。
今の時代も神様は一人でも多くの人が救われることを願って「箱船」に入るように願っておられる。

6月7日 「有り得ないことはない」 第2テサロニケ 4:16〜18 

私の応援してるサッカークラブは 15年前は本当に弱いクラブだったのですが、去年アジアのNo1になりました。
15年前には『有り得ない』と思ったことでも、実現しました。
世の中には『有り得ない』と断言出来るものは無いと思います。
聖書の預言にある『イスラエル建国』も、かつて多くの人が『有り得ない』と思っていましたが実現しました。
聖書には『空中再臨』や『携挙』の預言がありますが、多くの未信者は『有り得ない』と思っています。しかし聖書の預言に準じた社会情勢や的中率を見ると『有り得ない』と思えません。
私たちはそのことをしっかり学び、日々の生活を平安に暮らせるようになることをお勧めします。


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5月31日 「大切な備え」 ヨハネの福音書15章13節〜 

 新型インフルエンザがメキシコで発生して早1ヶ月、昨日現在世界53ヶ国で15510人が発症し99人の方が死亡しました。日本でも370人の方が感染しています。日本中の薬局からマスクが無くなり、今回のことで多くの方が備えるということの大切さを実感したのではないでしょうか。でも私たちにはそれ以上に備えなければならないことがあります。それは死後の裁きに対する備えです。新型インフルエンザは感染しても全員が死ぬわけではありません。でも死後の裁きは全ての人に100%の確立でやってきます。だれも逃れることはできません。きちんと備えなければ取り返しの付かないことになってしまいます。イエス様はそんな私たちの友(親友)となってくださいました。そして私たちのためにご自分の命を捨ててくださいました。私たちが死後受けるはずの苦しみを十字架の上で身代わりに受けてくださったのです。ここに死後の裁きからの救いがあります。でも救われるかどうかは私たちがそのことを信じるか否かにかかっています。
 どうかイエス様の救いを心から信じ受け入れてください。そして死後の裁きに対する備えをしてくださいますよう心よりお勧めいたします。

5月24日 「イエス様の十字架・死・復活」 マタイ27:1〜28:20

 十字架刑は、数ある死刑の中でも最も極刑であり、これほどの痛み苦しみを伴う死刑の方法は他にはありません。それは人々に同じような罪を犯させない為に、その苦しむ姿をわざと見せつけるという見せしめの意味もありました。なぜイエス様はそれほどの苦しみを受けなければならなかったのでしょうか。それは人間の罪があまりにも大きいからです。イエス様は世界の全ての人の罪を一身に背負われ、その罪の身代わりとして十字架の苦しみを味わわれました。それはまさに想像を絶する苦しみでした。その後イエス様は死なれ、3日目によみがえられました。歴史は、イエス様の十字架の死と復活が、事実であることを証明しています。イエス様を信じる者は本当の勝利を得ることができます。私たちは世界の歴史からそのことを知ることができます。
 本当に価値ある人生は、福音を信じることからスタートするのです。

5月17日 「罪の原因」  創世記 2:7〜3:7  

私達人間はみな罪の性質を持っているために罪を犯そうとします。この罪の性質はエバが神様から触るなと言われていた善悪の木の実をとったことに始まりましたが、ここになぜ人が罪を犯すかがあらわれています。それは、エバが自分の判断でとったことによって広がりました。
 ここから私達が罪を犯す時には、神様を基準にした判断ではなく自分の判断によって行動しているときに罪を犯すことがわかります。日々の生活の中の判断において、神様を基準とした判断をすること、また罪がイエス様の十字架と復活にあってゆるされていることを覚えて歩みたい。

5月10日 「進化論と創造論」

神である主は土地のちりで人を造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。 そこで人は生き物となった。創世記2章7節

人類はその時代にもっている知識で理解できないものを“進化”(退化) という,よく理解できない漠然とした論理を正しいと理解している。進化論を深く教わった記憶はなくとも日々の教育や環境の中で、いのちが偶然に誕生したという進化仮説の土台に立った人生観ができあがっていたとするなら.......自分のいのちも、他の進化の過程にある生物同様、偶然に生まれ、そして進化の流れに沿って消えていくということになるだろう。計画も目的もなく、ただ偶然生まれたという生命観に立って自分の人生を見つめるなら、人はどう生きていけばいいのかわからなくなってしまう。人生の行く末が見えない生活は人々の心をすさませる。しかし、聖書の中に人間の生きる目的、死、存在理由がしっかりと書かれています。皆さんも聖書に出会い本当の人間の生きるべき姿を見つけてみませんか? 引用文献 「ダーウィンめがねをはずしてみたら」 安藤和子著

5月3日 「神様のさばき2」 ローマ人への手紙2章1〜16節 

神様のご性質を漢字で表すとしたら、「愛」と「義」になります。神様は愛なる方、完全に愛なる方、徹底的に人間を愛されている方です。同時に神様は義なる方、完全に正しい方、徹底して正しい方なのです。そして神様は、神様の正しさの基準として律法をお与えになりました。神様の律法の意味をきちんと理解すれば、人間は神様の前では正しいとは認められない存在であることが分かります。そして義なる神様は、人間の罪を見逃すことはできません。人間を裁かなくてはなりません。でも神様は愛している人間を地獄から救いたいのです。そこで神様は、ご自分のひとり子であるイエス・キリストにすべて人間の罪を背負わせ、十字架で人間の身代わりに、イエス・キリストを犠牲にされたのです。イエス・キリストの十字架によって、神様は愛も義も完璧に貫かれたのです。この神様の愛と義の両方を意識して歩んでいきましょう。

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4月26日 「旧約聖書の大預言」 ダニエル書11章

 歴代ヨーロッパを支配していたのは、バビロン→メディアペルシャ→ギリシャ→ローマでした。ダニエル書11章ではこれらの出来事を300年以上も前に見事に預言していました。 
 世界では様々な出来事が起こっていますが、その中心となっているのは常にイスラエルです。イスラエルは世界の中心であり、今も世界を動かしています。神様は聖書が神の言葉であることを実証するために、イスラエルや周辺諸国の歴史上の事実を預言し聖書の中に記されたのです。
 人間にとって本当に大切なものは何でしょうか。この世の価値観と聖書の価値観は違います。私たちはずっと(永遠に)この世にいるわけではありません。この世は一時的であり、世の中にあるものは幻想にすぎません。聖書は本の中の本であり、神様の言葉です。真に信頼できるのは聖書の御言葉だけです。聖書の中にこそ人間の生きる真の目的があり、真の幸せがあります。

4月19日 「神様のさばき」 ローマ人の手紙2章1〜16節 

 「人間の死」と「死後の裁き」は、人間にとって大きな問題です。この問題は避けては本当の幸せを得ることはできません。神様は完全に愛なる方であると同時に、完全に正しい方です。ですから、神様は人間のどんな罪も必ず裁かれます。人間の隠れた所、内側、心の中まで見抜き、その罪を裁かれ、刑罰を与えられます。その刑罰とは、永遠に燃える「火の池」、地獄です。そのように裁かれる神様が恐ろしい方であるというよりも、そこまで裁かれなくてはならないほど、人間は罪深い存在であると理解するべきです。
 けれども、人間の罪に対する刑罰を身代わりに受けて下さった方が、イエス・キリストです。そのことを信じているのがクリスチャンです。だからクリスチャンは、刑罰を受けることはないのです。地獄へ行くことは決してありません。どうかイエス様による救いを信じてくださいますように。

4月12日 「少年イエスキリスト」  ルカによる福音書2:52 

 イエスの少年時代についての記述はこのルカの箇所だけです。イエスキリストは神でありながら人と全く同じ痛み、喜び、悲しみなどを経験されました。12歳のときエルサレム巡礼を終え、マリヤとヨセフとの帰路についてるはずのイエスキリストはひとりエルサレムに残り教師たちと対等にまたそれ以上に彼らと協議をしていました。母マリヤはイエスを見つけたときにこの光景に驚き、たしなめましたがイエスキリストは「自分の父の家にいる」という表現をしました。このことから自分は神の子であるということを示され、またナザレに帰って後、「両親に従順で、神と人とに愛された」という記事があります。このことから私たちクリスチャンもイエスキリストにならって神様に従うこと、そして自分の親に従うことの大事さを学ぶことができます。

4月5日 「聖書は真実の書物」 ヨハネ 6:1〜14 

 神様のことを未信者に伝えた時、よく「私は目に見えるものしか信じない」と言って神様の存在を認めない人を見かけます。はたして一般的に『目で見えるもの・触れるもの』とは信用に値するほど確かなものなのでしょうか?
 様々なことを学ぶと私たちが『常識』と思っていることが、実は不確かなものだと解ります。逆に今日、聖書から学ぶ この出来事は常識では到底考えられない不思議なことです。しかし、歴史的な証明や聖書の信憑性ゆえに、この出来事をまがい物やトリックと証明出来る人はいません。むしろ『永遠のベストセラー』として聖書は今もギネスブックの記録を更新し続けているのです。
 皆さんも聖書に書かれている驚くべき出来事を更に学んで、不安なく確信に満ちた人生を歩むことをお勧めします。

 


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3月29日 「イエス様は医者である」 ルカ5:27〜39 

 当時パリサイ人はイエス様に対して対立していました。彼らは外見的には律法を守ることによって、自身の罪を自覚していませんでした。しかし内面においては罪をおかしていたので彼らは罪人でした。それに対してマタイ(=レビ)の家に集まっていた人たちは自身が罪人であることを自覚していました。
 イエス様は自身に罪がないにもかかわらず十字架にかかり、神様であることを示すために3日目の朝によみがえってくださったのは、私達の罪の罰を代わりに受けるためであり、これは自身の罪を自覚することによって初めて本当の意味がわかります。
 今一度、マタイの家に集まった人のように私達は罪人であることをおぼえて、イエス様の十字架と復活に感謝。

3月22日 「聖書」 −本の中の本−  第2テモテ4:1〜8 

世の中には多くの書物が存在しますが、時代の変化と共に、その中身は古くなっていきます。しかし、聖書はどんなに時代が変化しても、その内容は決して古くはなりません。なぜなら聖書は人間が作ったものではなく、本当の作者は神様だからです。聖書には「本の中の本」という意味があり、その中には絶対的真理が書かれています。
 例えば19世紀になってから発見された「海流」について旧約聖書の中に書かれている箇所(詩篇8編)があります。また宇宙の中の地球について(ヨブ26:7)や星の数が無数にあること(エレミヤ33:22)なども書かれています。人類の歴史の中でそれらが事実であることが発見されるよりはるか昔に、聖書の中にはすでにそのことが記されていたのです。不思議としか言いようがありません。
 私たちは何を信頼して生きていけばいいのでしょうか。昔から何一つ変わらない書物「聖書」こそ、私たちに真理を示す唯一の書物なのです。
 

3月15日 「神様の基準」 ローマ 5:12,13 

 私が今お世話になってるギターショップは、規模が小さくて一般的に知られていないのですが、プロのミュージシャンが利用している店です。
店長は「量販メーカーでは、本当に良いギターはある基準を満たしたギターは一部だけ。その基準を満たしてなければ10万のギターも80万のギターも同じで全て失格です。」という話を聞いた時に私は神様の基準を思い出しました。
 多くのギタリストが値段や有名メーカーのネームバリューだけでギターを比較して、本当のことが解っていないように、多くの人間が「自分はあの凶悪犯より善人だ」などと自分の罪から目を背けています。
 もう一度、神様の基準を再認識して「自分が救われた素晴らしさ」や周りの人に「人間が如何に罪深いか」を証しし伝道していくことをお勧めします。

3月8日 「よきサマリヤ人」 ルカの福音書10章30〜37節 

当時サマリヤ人とユダヤ人は敵対関係にあり、お互い憎み合っていました。どんな状況でも普通サマリヤ人はユダヤ人を助けようとはしません。しかしこのサマリヤ人は違っていました。もしサマリヤ人が助けなかったら瀕死のユダヤ人はこのまま死んでしまっていたことでしょう。このサマリヤ人は憎しみを超える愛を持っていたのです。
 さてここに登場する強盗に襲われ半殺しの目に合ったユダヤ人の姿は、実は私たちの姿を表しています。私たちはこのユダヤ人と同じように、このまま放っておかれたら、永遠の滅びに行ってしまう者なのです。そんな私たちに神様は救いの手を差し伸べられました。神様を無視し、敵対して歩んでいる私たちを一方的に愛してくださり、その愛のゆえに、十字架上で身代わりの死(裁き)を受けてくださったのです。神様の愛は全ての人に向けられています。もちろんあなたにも向けられています。この愛をぜひ受け入れてくださいますように・・・。

3月1日 「神様の怒り2」 ローマ人への手紙1章18〜25節 

創世記に記されているように、神様が生き物や人間をお造りになったということが非科学的で、進化によっていろいろな生物になったということが科学的なのでしょうか。そうではありません。「進化論」というのは考え方、思想であって、生物が進化したいう証拠はないのです。「進化論」のおかしな点はいろいろあります。例えば地球の年齢は、一般的に約45億年だと言われています。しかし地球の年齢の測定方法はいろいろあり、約1万年になるというデータもあるのです。
 創造主なる神様は存在されます。しかし人間は、その神様を認めようとしません。また神様が望まないことを行っています。偶像崇拝もその一つです。人間は神様によって裁かれて、永遠の滅びである地獄で苦しまなければなりません。しかし、この人間の罪を解決し、人間を滅びから救うために、十字架についてくださった方が、イエス・キリストです。
 どうか、このイエス・キリストの救いを信じてくださいますように。

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2月22日 「ハンナの祈り」 第1サムエル1:1〜28 

 ハンナは子どもを宿すことを強く願って,請願(1:11)とも言える祈りを続け,それがかなったので,この出来事からハンナは「祈りの人」と呼ばれている。ハンナが子どもを宿すことができなかったのは,「主がその胎を閉じていた」からである。私たちも同じであり,都合の悪い状況,困った状況は,神様の力が働いた上での出来事である。そこには何か正当な理由がある。だから,私たちは絶望に打ちひしがれることはないことを覚えておきたい。
 ハンナは毎年,祈りを重ね,つらく大変な年月を過ごした後についに望みを叶えた。望みを達成したのはなぜだろう。粘り強く,しつこい祈りを続けたからだろうか。日々祈り続け,謙遜な信者の姿勢を貫いたからだろうか。実は,ハンナ自身が,自らの望みそのものが神様が望むことを望むように変えられていったのである。神様が望むこととはなんだろうか。信じて従うこと,献身の思いにほかならない。あなたに特別に与えられた責務と働きが備わっている。主にこの身をゆだね,成長に導かれようではないか。

2月15日 「備えること」 ヘブル人への手紙4章12節〜14節 

 今、世界中が新型インフルエンザの世界的大流行(パンデミック)の危機に直面しています。新型インフルエンザの致死率は非常に高く、自分や家族の命を守るためにはマスク・ゴーグル・食糧・日用品等最低でも2週間分以上の備えが必要です。(厚生労働省のH.P.に記載されています。)パンデミックが起こってから行動していたら手遅れになります。生き延びるために今から備えをしておくことをお勧めします。
 それ以上に必要な備えがあります。それは死後に対する備えです。すべての人は必ず死にますが、それで終わりではありません。全ての人は死ぬのと同じ確立で死後、全てをお見通しの神様による裁きを受けることが定まっています。そこでは罪があるかないかによって天国か地獄かが決定します。神様の前では、だれも自分自身の潔白を証明することはできません。ただイエス・キリストの十字架による贖いだけが全ての人の罪を消し去る唯一の方法なのです。

2月8日 「聖書」 第2テモテ3章16節

聖書は今から約4500年前に書き始められ、1500年間に渡って書かれた六十六巻の書物が合わさったものです。著者は様々な時代の、様々な職業の人々です。書かれた時代も著者もバラバラなのに、聖書は驚くほど統一がとれています。
 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(第2テモテ3・16)
 聖書自身は、聖書の著者をこのように紹介しています。聖書は神様の霊感を受けて人間が書いたものであり、その真の著者は神様ご自身です。

2月1日 「神様の怒り」 ローマ人への手紙1章18〜25節 

 この自然界にある生物や天体などを調べると、それらは精巧で、秩序があり、調和がとれています。決して偶然にはできません。これらを造った方、神様が存在されることが分かるはずです。でも人間はそれを認めようとしません。神様でないものを神様として拝んだり、神様の存在を否定する思想を信じたりしています。これは大きな罪であり、神様は怒っておられると、聖書は私たちに警告しています。
 神様は完全に正しい方ですから、どんな人間も神様の裁きを免れることはできません。けれども永遠に裁かれなくてはならない人間の罪、この罪を解決するために、神様が人間の姿になり、この世に来てくださいました。それがイエス様です。そして十字架の上で人間の身代わりに、罪を背負って命を捨ててくださいました。イエス様の死によって、私たちは罪が赦され、永遠の滅びから救われるのです。

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1月25日 「あなたはどこにいるのか」 創世記3章1節〜24節 

先日、静岡県のとある官庁に出向いた。官庁なので駅近辺の誰かに尋ねればわかると思ったので地図を持たずに出かけた。しかし5人ほどに尋ねたがわからない、という答えや思っていたところと違う場所を案内されたりと散々な目にあった。最後に正しい道順を教えてくれたのは郵便局員だった。道路に精通している人であり、正しい答を示してくれる当然の人と言える。道を知るからには誰に尋ねるのか、は重要である。道順をたどって歩むことは人生と同じである。正しい行き先、目的地を知るには私たちは確かな人生の案内者に尋ねなければならない。神様は「どこにいるのか」とアダムとエバを呼ばれた。神様から逃れようとしたのは彼らに入った罪ゆえである。罪人の行き先は死と裁きの道「悲惨」の道である。「平安」という正しい目的地に行くためには、いのちの主、愛の神であるイエス様に尋ね、従うことこそが正しい。

1月18日 「空の空」 伝道者の書 1:1〜3 

エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者の言葉。空の空、伝道者は言う。空の空、すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人の何の益になろう。

 この言葉は、ダビデ王の子 ソロモン王の言葉です。ソロモン王は史上最高の権力者であり大金持ちでした。彼は地上のあらゆる快楽を行いました。その結果、彼が言った言葉が、「空の空・・・」だったのです。この世のすべてのものは、どんなに突き詰め極めたとしても、すべて空しい。それが彼の結論です。
 イエス様は言われました。「狭い門から入りなさい。滅びにいたる門は大きくその道は広いからです。」狭い門とはいのちに至る門(神様の救い)すなわち福音です。滅びに至る門(広い門)とは地獄です。多くの人が広い門を通って地獄へ向かっています。また、この世のものに心を奪われると神様のことを忘れてしまいます。私たち(クリスチャン)も注意が必要です。

1月11日 「放蕩息子の例え」 ルカ 15:11〜24 

あるテレビ番組で、ブータン王国の国王のエピソードを紹介してました。第五代国王の戴冠式で彼が「私は国民一人一人の親となり、子となり、兄弟となり、共にこの国のために働いていきたい」とスピーチしました。その後、彼は王座から降りてきて国民と隣り合わせに座り戴冠式の出し物を観覧してました。本当に感動的な映像でした。
 しかし、私たちの身近にはそれ以上の感動があるのです。それは神様自らが人間としてこの世界に降りてきて私たちを救うために十字架で人間の罪を贖ってくださいました。
 この放蕩息子の喩え話は神様が私たちを真実に愛して下さっていることを著しています。この素晴らしい神様の愛を日々覚えて歩みましょう。

1月4日 「イエスの復活こそ」 ローマ人への手紙1章1〜7節 

 キリスト信仰が真理であるという根拠、それはイエス・キリストの復活です。この復活こそキリスト信仰の土台です。クリスチャンでない人から見ると、ばかばかしいことかもしれません。でもイエスの復活が歴史的事実であることは、きちんと説明できます。
 イエス・キリストは復活されたことによって、「公に」神様のひとり子であることを示されました。イエスの復活を信じるということは、イエスが神様のひとり子であることを信じるということです。そして私たちの身代わりになって罪を背負い、死んでくださったイエスの十字架を、自分のものとして受け取るということです。受け取った者は、神様から見て「罪のない者」とみなされます。だから神様から裁かれることはないのです。このようになった者が「召された聖徒」、すなわちクリスチャンです。

 

 

 

 

 

 
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