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12月26日 宣教の言葉の愚かさを通して Tコリント1章18節〜

十字架の言葉は滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の言葉です。
神様は宣教の言葉の愚かさを通して信じる者を救おうと定められました。
 もし、伝えることが難しいことだったら、私たちには伝えることはできないし、聞く方も理解できないでしょう。神様はだれにでも伝えることができる救いの方法を用意されたのです。私たちが伝えることは、ただ一つ、十字架につけられたイエス・キリストのことだけなのです。 
 
 この世のとるに足りない者や見下されている者・無に等しい者を神様は選ばれました。・・・ あなたはこのことに心から同意してますか?

 

12月19日 神様の約束 

私たちが、神様を信じた時、次のような約束が与えられました。
 
  1.神との平和(ローマ5:1) 
  2.神の怒り(裁き)から救われる(ローマ5:9) 
  3.神が私たちの味方(ローマ8:31)
  4.永遠に変わらない神の愛(ローマ8:39) 
  5.変えられる(Tコリ15:51)→死なない体に生まれ変わる 
  
 この約束は、永遠に変わることなく、だれも私たちからこの約束を取り去ることはできません。このことを忘れないで、感謝して歩みましょう

 

12月12日 神様を信じている者の幸い   

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は何をしても栄える。        詩篇 1:3

 その人とは、神様を信じている人のことです。水路には水が流れていますが、「水」は聖書の「みことば」を表しています。
 水路には絶えず水が流れ、そこにはいつも新しい水があるのと同じように、みことばはいつも新鮮で、私たちの心の渇きを癒してくれます。
 水路のそばに植わった木が、やがて時が来ると実が成り、その葉は枯れないように、私たちもみことばを吸収することによって大きく成長し、何をしても栄える者となるのです。

 

12月5日 ゆがんだ人間関係の修復 
創世記 33章1節〜4節

 人間関係のゆがみは、人生の苦痛であり悩みです。逆に、人間関係が修復されることは、とても美しいものです。
 ゆがんだ人間関係の修復には、3つのポイントがあります。
1.クリスチャンにも有り得るということを理解する。
 クリスチャンの中でもゆがんだ人間関係は存在します。教会は人間の信頼関係で成り立っているのではなく、赦し合うことで成り立っています。
2.人を赦すことができないでいると、結果、自分自信を傷つけることになる。
3.クリスチャンとしてのスタートは、何であったかを再確認する。
 私たちがクリスチャンとしてスタートしたのは、神様が私たちのことを赦してくださったからです。
 創世記のこの箇所で兄に赦されたヤコブの姿は、新約聖書ルカの福音書の放蕩息子の姿と同じであり、実は私たちの姿でもあります。私たちは神様に赦された者なのです。 
 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらのすべての上に、愛をつけなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 コロサイ人の手紙 3章13節〜14節

 

 


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11月28日 もっとも大切なこと

この世の多くの人は、「神様なんていない。あるかどうかもわからない死後のことなんてどうでもいい。それよりも大切なことは、今をどう生きるかである。」と考えています。そうでしょうか。確かに今をどう生きるかは大切です。しかし、死後の永遠をどこで、どう生きるかは、もっと大切なことなのです。
  
 しかし、あわれみ豊かな神は、(どんな時も)私たちを愛し(続け)てくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、− あなたがたが救われたのはただ恵みによるのです。
 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(過去形)
  エペソ人への手紙2章4〜6節

 

11月21日 秋のクラシックコンサート

〜クラリネット・ヴァイオリン・ピアノのアンサンブル〜 は、
神様の祝福の内、無事終了いたしました。
 
 当日は、チラシ配りの効果もあり、大勢の方が来られました。柳瀬夫妻・工藤姉の演奏は本当に素晴らしく、来られた方は全員とても感動していました。特に今年はヴァイオリンが加わったことにより、例年以上に迫力のある演奏だったと思います。1階に大型TVを設置し、2階の映像を見れるようにしたので、託児の方々もとても喜んでいました。
 来年も実施する予定ですので、求道者を誘って、皆さんぜひ参加しましょう。

 

 

11月7日 人生の脚本 ルカの福音書2章22節〜

シメオンは、神様に忠実に歩んでいた兄弟でした。彼は、神様から「救い主の顔を見るまでは死ぬことがない」と言われていました。彼は、神を知るまでは人生の脚本を描いていましたが、この神様から言われたことで脚本が見事に崩れたことでしょう。
 しかし、ついに救い主が生まれたとき、神殿でイエスを抱き宣言しました。『この赤子こそが我らの救い主だ』と 汚い馬小屋で大工の息子として生まれた、救い主とは似つかないこの赤子を彼は神と認めました。
 シメオンの行動から、待ち続けること 神様による物差しで物事を見ることを私たちは学ぶことができるでしょう。

 

 


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10月24日 人生の土台 

突然ですが、今死んだら、あなたはどうなりますか?
「人間には一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっています。」
「御子を信じる者は永遠の命(神と一体となる[天国])を持つが、御子に聞き従わない者は命を見ることがなく、神の怒り(神との永遠の分離[地獄])がその上にとどまる。」
 
 これは聖書の言葉ですが、真理でしょうか。真理は多数決によっては決まりません。大多数の人は信じないかもしれませんが、クリスチャンは聖書の言葉を真理と信じ、人生の土台に据え、今を生きています。この土台は、何があっても 決して覆されることはありません。

 

10月17日 「選ばれたイスラエルの民と私たち」  申命記 4:1〜

神様によってイスラエルの民が“選民”としてえらばれました。彼らは神様によって守られて歩んでいけるにもかかわらずある時、神様に対して反抗したり文句を言ったりしていました。
  神様によって選ばれた私たち現代のクリスチャンも同じように反抗したり文句を言ったりしていることはないでしょうか?
 でも、そんな時にも神様は素晴らしい導きで私たちを支え、何よりイスラエルの民にはなかった福音をイエス様によって与えて下さいました。
 そのことを、もう一度心から感謝しましょう。

 

 10月10日 『真理について』  ダニエル書7章1節 〜

この世の中で真理(本当に正しいこと)とは何でしょうか。
 真理は文化・習慣の中に見つけることはできません。また真理は1つしかありません。ここに1つの真理があります。それは「全ての人は必ず死ぬと言うことです。」
 聖書には「人間は1度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている。」と書かれていますが、これは真理でしょうか。その答えは死後にわかります。
 神様を信じようが信じまいが、この世での生き方には大差はないかもしれません。しかし、死後行き着く所には大きな違いが生じます。どこへ行き着くか、その責任はすべて自分にあるのです。

 

10月3日 『ヤコブのストレス』 創世記 32:1-12 

長子の権利を奪った一件でヤコブは兄エサウの復讐から逃亡しないといけないという大きなストレスをもちました。万を持して故郷にもどろうとしている彼に神様は御使いを遣わし、「エサウが400人を連れてやってくる」と伝えました。彼はエサウが復讐にやってくると考えましたが、実際はその逆で彼を祝福にきたのでした。
 私たちも悩む時、自分で思い込む時が多々あります。そんな時、次のように祈っているでしょうか?
 1.神の前にへりくだっているか?
 2.具体的な祈りであるか?
 3.正直な祈りであるか?

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9月26日 『ネブカデネザルとダニエル』  ダニエル書 2章1節〜

ネブカデネザル王は頭のいい知者であり、当時最大の王国の王であった。ある日彼は夢を見、その解き明かしを呪文師に頼むことになる。みなさんならどのような方法で解き明かしをするでしょうか?ダニエルは夢の内容を聞かずにこの世界には統治者がいる“知恵”を伝えました。
現代の私たちにもこの“知恵”である救いが与えられていることを知るべきです。この知恵は永遠に関わることであることを神様を知らないで歩んでいる人に伝えましょう。

 

9月19日 小さな事からコツコツと 

光の子どもらしく歩みなさい。
そのためには、主に喜ばれることが
何であるのかを見分けなさい。 エペソ5:8〜10


 私たちは神様によって生かされていますが、生かされているのには理由があります。それは、神様の栄光を表すためです。
 私たち一人一人は小さな灯のような存在かもしれませんが、小さなことからコツコツと証ししていけば、神様はそれを必ず用いてくださいます。それはやがて大きな働きとなり、人を救いへと導くのです。
 私たちが神様のことを思って働くとき、それがどんなに小さなことであっても神様は喜んでくださるのです。

 

9月12日 私たちは相続人  ガラテヤ人への手紙4章 

あなたがたはもはや神の奴隷ではなく子です。子ならば、神による相続人です。


  聖書の中の子という言葉には、単に親子関係の子という意味だけではなく、全相続権を有する「成人した息子」という意味があります。
 イエス・キリストを信じ、神様の子どもとなった私たちには、初めから、全てが与えられており、いまさら、何をプラスする必要もないのです。 

 

9月9日 神様からの祝福を得るために    創世記 27章1節〜17節

神様からの祝福を得るために、私たちは、まず自分自身を知ること 次に、神様のことを知ることが大切です。
 自分の罪深さを知り、自分自身には救われる資格などないことを知ったとき、初めて、神様の恵みのすばらしさを理解することができます。
 私たちが救われたのは、神様が、恵みにより一方的に選んでくださったからです。その事実を知ったとき、私たちの心に感謝の気持ちが湧き起こります。
 
 この好循環 これが神様からの祝福を受ける秘訣なのです。 

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8月29日 悪魔の働き  

 神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。高さも深さもその他のどんな被造物も・・・神の愛から私たちを引き離すことはできません。   ローマ 8:31〜39
 悪魔は、私たちから、神様が与えて下さった救いを取り上げることはできません。そのことは悪魔自身もよく知っています。悪魔の目的は、私たちを力(証し)のないクリスチャンにすることであり、そのために、今も働いているのです。
 5年後に私たちが救われている可能性は100%です。しかし、5年後も私たちが教会に来ている可能性は???なのです。
 私たちが力をなくさないように、また教会から離れないようにするため、悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神の全ての武具を身に着けなさい。(エペソ 6:11〜18)と、聖書は勧めています。

 

8月22日 主の晩餐  コリント人への手紙第一 11章23節〜28節

私は主から受けたことを、あなた方に伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。

 

8月15日 この世と調子を合わせては行けません   ローマ人への手紙12章 

 この御言葉は、神様を認めないこの世の型にはまって生きてはいけないという意味です。私たちに救いを与えてくださった神様のすばらしさを、人々に伝えていくために、私たちはどうあるべきかを考えて、行動するするようにしましょう。
 私たちは、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。   
 
 人間には、人それぞれ違った賜物がありますが、どの賜物がすぐれているとかの優劣はありません。むしろ、自分に与えられた賜物に磨きをかけて、よりすぐれたものにすることが大切です。

 

8月8日 どんな状況でも ハバクク書3章17〜19節    

 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑も食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
 しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力、私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。
 
 私たちは、人生の中で様々な状況に出会います。良い時もあれば、悪い時もあります。この御言葉は、最悪の状況のことを語っています。たとえ、最悪の状況の中でも、私たちは喜び・勇気を持って歩むことができるのです。

 

8月1日 エサウとヤコブ 創世記25章30〜33節 

エサウ「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから」
ヤコブ「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」
エサウ「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など今の私に何になろう。」
ヤコブ「まず、私に誓いなさい。」
エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。
 長子の権利は、神様がイスラエル人の長子だけに与えたすばらしい祝福でした。エサウは、目先の欲望に心を奪われ、神様からのすばらしい祝福を簡単に手離してしまいました。一方、ヤコブは、神様からの祝福を得るために、積極的に行動しました。
 私たちも、目先のことばかりにとらわれるのではなく、先のことを考え、よく見据えて、正しい行動ができるように心がけましょう。 

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7月25日 人間にとって最大の問題

 人間には、一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定まっている。           ヘブル人への手紙9章27節
 すべての人間が、避けて通れない問題があります。それは、死と死後の永遠の裁きという問題です。あなたは、その問題を解決しておられますか。
「そんなこと、死の時期が近づいた時に考えればいい。今はそれどころじゃない。」と言って、問題の解決を先送りにしていませんか。しかし、人の死は予期せぬ時に、突然やってくる場合があるのです。

 すべての人に共通のこの問題、今すぐ解決しておくことをおすすめします。
 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠の命です。
                   ローマ人への手紙6章23節 

 

7月18日 地球温暖化について 創世記1章6.7節   


 ついで神は「大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」と仰せられた。こうして神は、大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。するとそのようになった。
 大昔の地球は水蒸気の層に覆われていました。水蒸気の層は、紫外線等、太陽からの有害な光線を遮り、地球全体が温暖で、とても安定した気候を保っていました。地球上のあらゆる生物は非常に豊かな生活をしていました。
 しかし、ノアの大洪水によって水蒸気の層はなくなってしまいました。その結果、地域によって気候の違いが生じるようになり、現在のような地球温暖化による異常気象等も起こるようになってしまったのです。

 

7月11日 神の救いを得るために ローマ3章1節 

律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
 この世界に律法を守りきれる人は一人もいません。律法は人に罪を認めさせることはできますが、決して人を救うことはできません。
 人を救うことができるのは、唯一、神の恵みだけなのです。
 すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることはできず、ただ神の恵みにより、キリストイエスによる贖いのゆえに価なしに義と認められるのです。

 

7月4日 神の平安を得るために 創世記25章8節  

アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。
神様から平安を得るための3つの秘訣
@聖められた過去
  彼は主を信じた。主はそれを彼の議と認められた。(創15:6)
A充実した現在
  私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Uコリント4:16)
B希望に満ちた未来
  あなたがたは神の民である。(Tペテロ2:10)
 

 アブラハムが得た平安は、私たちにも約束されています。私たち自身がそれをどう受け止めているかが大事なのです。 

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6月27日 迫害の中で・・・

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
 だれでも誘惑にあったとき、神によって誘惑されたと言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
ヤコブの手紙 1章12節〜14節


 ヤコブの手紙は、地中海沿岸のユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた手紙です。当時は、彼らに対する迫害がだんだんきつくなってきており、そんな彼らを励まし、導くためにこの手紙は書かれました。
 この手紙の中で、著者は福音のすばらしさを、より感謝しつつ歩むように勧めています。

 

6月20日 試練について  創世記22章より 

神はアブラハムを試練に会わせられた。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。そしてあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
 この出来事はアブラハムにとって大きな試練でした。神様はアブラハムが自分のひとり子イサクよりも神様を第一としているかどうかを試されたのです。アブラハムはこの試練をみごとクリアし、以前にも増して神様に従う者となりました。
 
 試練は、神様の愛のテストであると同時に、私たちが神様により従うための最大のチャンスでもあります。このチャンスを逃さないようにしましょう。

 

6月13日 競走しなさい・忍耐を持って行いなさい

 私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競走を忍耐を持って走り続けようではありませんか。 ヘブル人への手紙12章1節
 この手紙が書かれた当時はギリシャ文化の時代でした。ギリシャ文化では「健全な精神は、健全な肉体に宿る。」 という思想があり、そこから様々な競技が生まれました。ですから、クリスチャン生活を競走に例えたこの表現は、当時の人々にはとてもわかりやすい表現でした。
競走に勝つための4つの方程式
 @勝利者であるイエス様を見つめること 
 A競技場の同輩をみること
 B敵が誰なのかを知ること 
 C最終目標(天に行くこと)を知ること

 

6月6日 ノアの箱船 創世記より 

神様はかつて水でもってこの地球を滅ぼされました。
 それは、人間の罪が世にはびこっていて、神様が選んだノアとその家族以外のものを滅ぼす歴史的な大きな出来事でした。人々は神様とノアの忠告を聞かず晴れていた空から雨が徐々に降り始め、やがて大洪水になって初めて本当の事をしりました。
 現代の私たちも同じように神様から死後にさばきがあると忠告をうけていますが、それを聞かず自分勝手に歩んでいます。
 ノアの箱船の扉は、人間が閉めたのではなく、神様によって閉じられました。同じように人間が神様の国(天国)に入ろうと思っても死んでしまってからではおそいのです。今は「恵みのとき」と、聖書にあるように、今イエスキリストのことを受けれて天国にいきましょう。 

 


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5月30日 失われた羊の例え 

あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰ってきて友達や近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。                                  
ルカの福音書15章4節〜7節


 この箇所を見ると、私たちがイエス様を信じたとき、神様がどれだけ喜んで下さったかがわかります。
 私たちは、最高の愛で、神様から愛されているのです。

 

5月23日 人生の希望 第Tテサロニケ4:14 〜

 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 今の世の中はとても不安定で、この先どうなるのかさえわかりません。このような時代の中でも、私たちには希望があります。神様の約束を確信し、心に刻み、神様の本当の力を持って人生を歩みましょう。 

 

5月16日 試練について 創世記22章1節〜 

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。
 神は仰せられた。「あなたの子、イサクを連れてモリヤの地に 行きなさい。そして、一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしに捧げなさい。」                                                
 クリスチャン生活の中で避けて通れないものが2つあります。1つ目は、誘惑・2つ目は、試練です。誘惑は私たちを罪に向かわせ、神様から引き離す悪魔のわざです。試練は私たちを成長させ、神様により従う者とするための神様のわざです。
 また、アブラハムがイサクを捧げた出来事は、神様が私たちのためにイエス様を捧げられたことの型となっています。試練は神様が与えてくださるものであり、クリスチャンの歩みの出発点なのです。
 「あなたの手をその子に下してはならない。今、わたしはあなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしに捧げた。」

 

5月9日 苦難について

 私たちは生きている間、様々な苦難に会いますが、苦難は私たちに対する神様の愛のわざであり、良い実を結ぶための訓練であると聖書は教えています。現在の世界や日本の状態を見ると将来不安になりますが、「これから世界がどうなっていくのか」よりも「今、私たちがどうすべきか」のほうが大事なのです。
 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 ヘブル人への手紙 12章 5〜7節

 

5月2日 自己責任について 

人は、色々な責任を背負って生きています。責任の種類は、職業等によって様々です。しかし、全人類共通の責任があります。それは、自分の罪に対する責任です。本来、人は自分の罪の責任をとるために、死後永遠の裁きを受けなければなりません。しかし、神様は私たちを罪の裁きから救う方法を用意されました。イエス様が私たちの罪の責任を身代わりに受けてくださったのです。
 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。 ローマ人への手紙 6章10・11節 
  

 


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4月25日 犠牲を払うことについて 

信仰生活には犠牲が付き物ですが、犠牲の形は人それぞれ違います。わたしたちに与えられた環境の中で、精一杯犠牲を払うことが大切なのです。     
 また、わたしたちが疲れて、弱っているときは、イエス様のことを思い出すようにしましょう。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。 イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
               ヘブル人への手紙 12章2〜3節

 

4月18日 未信者の祈りとクリスチャンの祈り 

日本の神様(神道)は、いろいろな種類に分かれていて、それぞれ役割が違います。また仲(相性)の悪い神様もいるので、祈る時は注意が必要です。
 聖書の神様は、唯一の方であり、祈りの内容によって神様の種類を変える必要はありません。また、全知全能の方なので、どのような祈りでもかなえることができます。
 クリスチャンも未信者と同じように自分自身のために祈ります。神様は、その祈りを聞き、判断し、その人にとって最も良い方法を与えてくださいます。ですから、私たちは安心して、神様に結果をゆだねることができるのです。
 皆さんは日本の神様・聖書の神様 どっちを信じますか。

 

4月11日 死後の問題 ヨハネの福音書14章2節

わたしの父の家には住まいがたくさんあります。
あなたがたのためにわたしは場所を備えに行くのです。

 
 皆さんはややこしい問題に直面したとき、どのように解決していますか。とりあえず、その場で解決せずに、それを先送りにしていませんか。
 私達にとって死後の問題は正にそれではないでしょうか。多くの人は「死後 そんな先の事 今から考えても仕方がない。その時が来たら考えますよ。」というかもしれません。
 しかし、聖書には死後の問題を今すぐ解決する方法が記されています。 

わたしが道であり真理でありいのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
                           ヨハネ14章6節

 

4月4日 ソドムとゴモラ 創世記19章1〜29節 

主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
 こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。
 
 神様はアブラハムとの約束のゆえにロトを救われました。
 同じように神様は、全く救われる理由のない私たちを、
イエス様の十字架と復活のゆえに救ってくださいました。
 感謝です。

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3月28日 神の存在 ローマ人への手紙1章18節

神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造されたときからこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。


 多くの日本人は神といえば宗教的なイメージを持ちますが、神の存在は決して宗教ではなく、真実か真実でないかの問題なのです。
 神(創造主)の存在を認めるのと認めないのとでは人生の目的や価値観が全く違ったものになります。 

 

3月21日 すべてのことはしてもよいのです   コリント人への手紙第1 10章23節 

世間の人々は私たち(クリスチャン)のことを規則で縛られ自由がないと思っているのではないでしょうか。しかし、聖書は「私たちにすべてのことはしてもよいのです。」と言っています。
私たちはいつも3つの目で見られています。
 @他人の目 私たちの不信仰な行動が人を傷つける事があります。
 A神様の目 私たちの行動の全てを神様は見て(守って)います。
 B悪魔の目 悪魔は人を誘惑するために全地を行き巡っています。
これらのことを意識しながら、自由に行動しましょう。

 

3月14日 世の終わりの予言 黙示録13章1節〜

 この箇所では、海と地から2匹の獣が登場します。海とは異邦人の世界、地とはユダヤ人の世界のことです。また、2匹の獣は2人の独裁者を表しています。1人は政治的独裁者、もう1人は宗教的独裁者です。世の終わりが近づくと2人の独裁者によって世界は支配されると聖書は預言しているのです。
 現在の世界情勢を見ていると聖書が預言している世の終わりがもうすぐそこまで近づいていることがよくわかります。私たちは今までのいつの時代よりも聖書の預言を理解しやすい時代に生きているのです。聖書を与えてくださった神様がおられることをより確信し歩みましょう。

 

3月7日 アブラハムの失敗 創世記12章1節〜 

 アブラハムは目先の危機から逃れるために、神様に頼らず自分の浅はかな知恵に頼りました。そして、そのことは問題を解決するどころか余計にややこしくしてしまいました。
 しかし、神様はそんなアブラハムを見捨てるのではなくむしろ彼に過ちを教え、正しい方向へと導かれました。
 私たちも日々の生活の中で何か問題が起こったとき、神様を忘れ、自分の知恵に頼っていないでしょうか。そんな時は、まず神様に頼りましょう。そうすれば、神様は必ず私たちを正しい方向へと導いてくださいます。

 


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2月29日 カインとアベル  創世記 4章1節〜   ー神様へのささげものー 

 カインは地の作物を、アベルは羊のいのちを捧げました。神様は、アベルの捧げ物だけを受け入れました。なぜでしょうか。
 神様は努力の結果よりも、血によって聖められた捧げ物を選ばれたのです。それは神様が全く罪のない聖い方だからです。(ヘブル9:22)
 同じように私たちが救われたのも、罪のないイエス様がご自分のいのちを捧げてくださったからです。私たちに救われる理由はなく、それはただ神様の恵みという他ありません。

 

2月22日 空の空 伝道者の書1章1節〜

 空の空 伝道者(ソロモン王)は言う 空の空 すべては空
                    
 神様を知らずに生きる人生は、どんなに栄えても空しいだけです。
結局のところ、「人が生きていて大事なことは、神を恐れること(神様の尊厳を認めること)と神様の命令を守ることです。」とソロモン王は言いました。
 
 神の命令とは、私たちがイエス・キリストを信じ、死後の永遠の裁きから救われることです。
 死後を、先(未来)の事と考えるのではなく、今、解決しておくことが重要なのです。

 

2月15日 アブラハムの召命 創世記11:27〜12:4 

 神様はなぜアブラハムを選んだのでしょうか。それは神様が彼を愛されたからです。彼には神様から愛される理由は何もありませんでしたが、神様の恵みにより彼は選ばれました。
 私たち(クリスチャン)も、以前は神様に敵対して歩んでいましたが、神様の恵みにより選ばれたのです。
 また、神様がアブラハムをウルからカナンへ導かれたように、神様の導きは・・・からだけで終わらず、必ず・・・へと続きます。神様はいつも私たちを間違った所から 正しい所へ 導いてくださるのです。

 

2月8日 エサウとヤコブ 創世記25章19〜34節

エサウは自分の腹を満たすためにレンズ豆の煮物と長子の権利を交換してしまいました。彼は、自分にとって本当に大切なものは何かという選択を間違えてしまったのです。
 私たちも今の自分の心を満たすことばかりを追い求めて、未来(死後の永遠)を軽んじてはいけません。今も大事ですが、未来はもっと大事なのです。今は過ぎ去りますが未来は永遠に過ぎ去らないからです。後で「しまった。」と後悔しても、どうにもならないのです。 

 

2月1日 聖書は、真実の書物です

 世界で起きている様々な事件は報道によって私たちに伝えられますが、それらは必ずしも真実を伝えているとは限りません。プロパガンダ(情報操作)されていることも少なからずあるようです。
 それに比べて、聖書は完成してから約2000年も経過していますが、内容は当時と変わりなく、神様からの情報(愛)を正確に私たちに伝えてくれます。

 神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである。 ヨハネ 3章16節

 


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1月25日 旧約聖書 箴言 16章より

 人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値うちをはかられる。
 あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。
 主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
 人は心に自分の道を思い巡らす。
 しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。

 

1月18日 自然界の法則 

 主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
                   イザヤ書40章26節〜31節
自然界の法則は、神様が造ったものであり、人間はそれを発見しただけなのです。また、人が知っていることは、そのごく一部に過ぎません。
神様は、自然界の法則を造っただけでなく、その中で生きている私たちをいつも見守り、励まし、導いてくださいます。

 

1月11日 コリント人への手紙第2 6章2節 
       確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。  

 この期間は、今、私たちが生きている時代のことですが、限定された期間であり、やがて終わりが来ます。
 人類の歴史上、今ほど聖書を信頼できる時代はありません。今は、伝道しにくい時代ではなく、むしろより客観的に聖書を証ししやすい時代なのです。今、私たちがすべきことは、イエス様のことを人々に伝えることなのではないでしょうか。
されど、われ、人に伝えん、恵み深きイエスを 聖歌552番

 

1月4日 バベルの塔の建設 創世記11章1〜節 

 神様の御心は人間が全地に広がることでした。(創1:28)
当時の人々はそれを拒み、全地に散らされないように結集のシンボルとしてバベルの塔を建設しました。
しかし、神様は人々の言葉を通じなくして、人間を全地に散らしました。
 神様の御心でないことは、必ず失敗します。
 また、神様はいつも私たちのすることに注目し、決して無関心ではおられないことも知っておきましょう。

 

 

 
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